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言語態分析  特別寄稿

『言語態分析 ―コミュニケーション的思考の転換』  

『言語態分析』刊行によせて

 

原 宏之
 


 本書はことばの分析をとおして時代の特徴を描きだす方法論を呈示するものです。ミシェル・フーコー『知の考古学』における言説分析の考え方を、実際に使える道具にしようとの試みからスタートしました。そのときどきの状況における<発話>の分析を、時代の大状況における<言説編成>に結びつけるために、バンヴェニストにはじまる言語理論の知見におおいに助けられました。でもそれだけでことたりるわけではありません。フーコーが同著を刊行した時代には、映画やテレビ、ラジオなど各メディアの資料が「歴史(学)」の一部となるなど考えられないことでした。ところがこんにちでは、これらのメディアや記録された音声や映像が、とても貴重な時代の証言の一部となっています。ですから、本書でいう「ことば」には、こうした視聴覚資料もとりこむことが重要な課題でした。あるときは「会話分析」に、あるときは映画研究に、知見をもとめながら、マルチモーダルな情報の分析とはなにかを考え、新たな「系譜学」の道具をいまの段階で呈示したのが本書です。

 ディスコース・アナリシス、言説分析、ディスクール分析など、さまざまな用語で語られてきたことばの分析による時代像の確立(系譜学)を、マルチモーダルな情報とメディアの時代のために、ひととおり整理することから作業ははじまりました。そして、ドキュメンタリー映画における歴史の「証言」の可能性、ある都市の語りの変遷、テレビ政治バラエティ番組の構成、またネオナショナリズムとネオリベラリズムの構成のされ方、創始となる言語態のありかなどを分析してゆくことになりました。その過程で「論理」の問題、座談会など発話の制度の問題、映像と音声の融合の問題などを解決する必要が生じます。また都市の語りについても、それは都市という経済や行政、産業と住民生活、消費など「言語外」の諸制度との関係で紡ぎ出されるものです。ことばのやりとりに関しても、それはことばに内在する論理の問題であるのか、あるいは対面的状況による社会的な影響関係の問題であるのか、さまざまな視座から分析しなければなりません。

 上の課題のために、言語理論や哲学、社会学(民俗学や文芸批評)、またメディオロジーなど別々に発展した成果をいちど整理する必要があることを痛感しました。その意味で、本書は『言語態分析◇序』とでもいうべきものであるのですが、同時にわたし自身が取り組むやっかいな問題(<近代>の構成)のための便利な道具となり、またさまざまなご関心から利用し、発展させてほしいとの願いからも「序」であるのです。『においの歴史』や『娼婦の歴史』など文化史とよばれるアナール派の紹介の多い本国では意外に思われるかもしれませんが、ヨーロッパの歴史学は徹底した社会科学主義のなかから量的な科学として大学制度内に確立されてきました。それとは異なる方法論のひとつとして、たとえばことばを読む作業を中心とした系譜学の可能性、それは人文知の新たな可能性であると考えております。

 前著『バブル文化論』でとった方法を具体的に示すという意味も本著にはあります。しかしながら、ますます時のスピードが増すなかで、時代の記録の役割が期待される時代に、新たな活発な議論の種のひとつになればと思っております。多くの方に批評の対象とされることを願っております。



 
 
著者プロフィール:著者プロフィール原宏之(はら ひろゆき)

明治学院大学教養教育研究センター准教授。 1969年生まれ。パリ第10大学人文学科群博士課程中退。学術修士。日本学術振興会特別研究員(東京大学)・東洋大学等非常勤講師(2001-2002)を経て、明治学院大学専任講師(2002年)。2005年より現職。 専攻は、教養(表象メディア論・言語態分析)および比較思想史。 著書に『バブル文化論』(慶應義塾大学出版会)、『<新生>の風景』(冬弓舎)、訳書にジャック・デリダ/ベルナール・スティグレール『テレビのエコーグラフィー』(NTT出版)、グレアム・アレン『ロラン・バルト』(青土社)、『ミシェル・フーコー思考集成』(分担訳−筑摩書房)など。

 

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