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大日本帝国のクレオール  立ち読み

『大日本帝国のクレオール

―植民地期台湾の日本語文学』

  

「訳者あとがき」(抜粋)

 

林ゆう子
 
 

「真実」にたくさんのバージョンがあるように、「現実」にも多くの側面がある。本書が提示するのは、台湾の日本語文学に投影される多層で複雑なリアリティだ。それは「コロニアル・コンテクスト」という3Dゴーグルをかけると浮き上がって見えてくる。基調を成すのは「支配者と被支配者」という非対称的な力関係だが、実はその関係は一定ではなく、時の経過とともに、あるいは、入れ子構造的に、支配する主体も変われば、支配される主体も変わる。ハイパーコロニアルという基盤からしてすでに複雑系なのだ。本書ではそのことに留意しつつ、想像力を総動員させて、作家や作品中の人物のそれぞれ異なる立ち位置から見える、(その時々の、そして現在にまで尾を引く)「現実」について考察を重ねてゆく。

 

その知的ツアーの案内役である、著者フェイ・阮・クリーマンは、このゴーグルをけっしてはずしてはならないと注意を喚起しつつ、表層の裏側にある見落としがちな事象・心象を指し示しながら進んでゆく。クリーマンは、民族、ジェンダー、階級、言語といったキーワードを用い、先行研究という地図を見比べながら、その複雑でダイナミックな関係性に検討を加えてゆく。

 

たとえば、呂赫若の短編「隣居」は「ひねりが全くなく、淡々と語られるストーリー」として、ほとんど批評の対象となってこなかったというが、植民地という時代の文脈に照らすと、さまざまな皮肉や隠喩が浮かび上がってくる。一人の台湾人の男児をめぐる、(この子を養子に迎えたい)日本人女性と(その子の実母である)台湾人女性のやりとりを描いた、一見屈託のないシーンでは、言語化されない緊張や動揺を著者は見逃さない。また、物語の語り手である「私」という第三者による表面的な解釈は、作者である呂の真意とは必ずしも一致しないとの推理を働かせる。「隣居」で描かれているのはむしろ、物事の核心を「善意」の解釈というヴェールで覆ってしまうことの愚かさや、「二つの異なる民族的・文化的伝統が真に一つにまとまることの不可能性」であり、「究極的には、植民地事業の正統性を問う」作品だというのが著者の見解である。

 

また、呂の「玉蘭花」、林芙美子の『浮雲』、中島敦の『光と風と夢』、周金波の「気候と信仰と持病と」などでは、自然環境に代表される「その土地にもともとあるもの」と、そこに「移植されたもの」との「根本的な不調和性」が示されていると著者は指摘する。換言すれば、「同化」の不可能性である。

 

周の「ものさしの誕生」で描かれる台湾人の少年は、「日本人として認められたい」という思いと、「台湾人であることが暴露されるのではないか」という不安と、さらに複雑な罪悪感とを併せ持つ。彼もまた、AかBかの二項対立ではとらえきれない複雑な存在なのだと、著者は指摘する。

このようにマクロな背景に照らし合わせながら数々の作品を凝視していくうちに自ずと思い至るのは、もっとミクロな「私」の周辺図だ。私たちは、男や女、あるいは一個の人間として、所与の状況下でどう生き、また、ある文脈の中でどのような選択をしてきたのか/するつもりなのか、(飽くまでも暗示的に)内省を促される。このことへの気づきは、件のゴーグルの機能が内在化したことを示すサインなのかもしれない。

 

ところで本書は、日本の事情にも台湾のそれにも不慣れな、英語圏の読者を想定して書かれたものなので、翻訳版では、日本的事象の説明は省略した。また、まとめなど重複する部分や、「南方」以外の植民地に関する部分などは割愛するか、註へ移動した。さらに、目次にはその章で扱う主な作品のタイトルを入れ、具体的な章立てを目指した。

 

しかし最も大きな構成上の変更は、原書では「あとがき」的な扱いになっている「ポストコロニアルの屈折」を冒頭に持ってきたことである。本書の考察の対象が「ポストコロニアル=現在」とどうつながっているのか、今、私たちと同時代を生きている台湾の人たちはどういう世代なのか、を読者に対して先に知らせておくことを重視した。著者は、こう主張している。清朝、日本、国民党と統治者が入れ替わった台湾の人々の苦悩とは、言語をはじめとする自己の生き方を自らが選択・決定できなかったことである(その「台湾人」も、もともとは中国福建省などから移住した人たちで、台湾の原住民(ユアンズーミン)との関係が入れ子構造になっている)。日本統治下で、日本語で教育を受け、「日本式」しか知らない、おもに1920年代生まれの人たちが「ポストコロニアルの時代」に日本語を創作言語に選択した場合、それは自らのアイデンティティを自らが戦略的に決定した結果である。それは、この半世紀に台湾に押し付けられた標準中国語文化に対する「勇敢で挑戦的な」抵抗の表現なのであって、日本統治時代の肯定を意図したものではない、と。

先ほど「ポストコロニアル=現在」という書き方をしたが、著者によればこれは正しくない。なぜならば、この「日本語世代」が全員いなくなってしまうまで、「ポストコロニアルの時代」は始まらないからだ。

 

クリーマンの経歴は謝辞に詳しいのでそちらをご参照願いたいが、謝辞にもあるとおり、彼女のご両親は台湾の「日本語世代」である。本書をプライベートな(=ミクロな)側面から見れば、著者の意図は、ご両親の名誉挽回にあったと言えるのかもしれない。

 

ここで、本書のキーワードの一つである「アイデンティティ」について簡単に付記しておきたい。『脱アイデンティティ』(上野千鶴子編、勁草書房、2005年)によると、アイデンティティ(自我同一性)という概念の生みの親は『アイデンティティとライフサイクル』の著者で社会心理学者のエリック・エリクソン(1902−94)だが、その後、この概念のとらえ方は社会学の枠組みの中で進化を遂げてきた。これに、劣位の者だけに迫られるものとしての「存在証明」という訳を付けたのは

『アイデンティティ・ゲーム――存在証明の社会学』(新評論、1992年)の著者である社会学者の石川准だという。

そのエリクソンだが、「フランクフルトに、ユダヤ系デンマーク人の子として生まれ、ナチス・ドイツから逃れるように1933年にアメリカに渡った(略)。出自からも、エリクソンは、民族・国籍・言語・宗教といったさまざまな面で分裂と引き裂かれを体験せざるをえなかった人であった」(『脱アイデンティティ』、251頁)と日本文学者の小森陽一が紹介していて、アイデンティティ理論が生まれた背景を垣間見るようで興味深い。小森はさらに、「明治という時代を生きていた人たちにとって、翻訳語を中心として組み立てられた近代の『日本語』を使用することは、自らが生まれ育った地域の、『方言』として差別化された『母語』を捨て、学校で教えられるところの、国家語としての『標準語』によって自らの言語体系を組み替えていく、自己を他者化するプロセス、『アイデンティティ』を崩壊させる過程にほかならなかった。だからこそ、『母語』としての『日本語』によって『アイデンティティを確立する』などということはありえなかったのである。同時に『標準語』を学習する過程は大日本帝国臣民に自己を改変することでもあった」と指摘している(同掲書、246−247頁)。この説に基づけば、自らのアイデンティティを自ら決定できなかった人々は「内地」にもいたことになり、コロニアル・コンテクストにおけるアイデンティティ問題の複雑さがここでも例証されている。

さらにその小森について上野は、「少年期をスラブ語圏で過ごして、日本語をあとから獲得したという特異な言語体験を小森は持っている」と指摘。「彼にとって、日本語は単純な母語でありうるはずはなく、言語を通じての確たる日本人アイデンティティからも距離がある。そういう小森の目から見れば、言語と文化アイデンティティとの幸福な関係を語るどの言説も、ナイーブに見えることだろう」という見方を提示している(同掲書、308頁)。これは小森という一個人について語ったテクストではあるが、一般化すれば、日本語を使って文学作品を執筆する台湾人と、日本統治時代の肯定とを直結することの「ナイーブさ」に関する示唆に富んでいる。

 

本書の中でも繰り返し用いられている「立場性(ポジショナリティ)」というタームに関しては、社会学者の千田有紀が「他者が私を何者であると名指しているのか」を指す用語だとし、「私が何者であるのかという感覚」としてのアイデンティティとの相違を平易な言葉で要約している(同掲書、269頁)。さらに上野は「アイデンティティは自己に属し、したがってコントロールできるが、ポジショナリティは他者に属し、自分の意思だけではコントロールできない。(略)それはアイデンティティと同じく、関係のなかでそのつど再定義されるほかない」と説明する(同掲書、312−313頁)。この定義を採用するとすれば、本書でアイデンティティと呼ばれている「感覚」は、あるいは、ポジショナリティにむしろ近い場合もあるかもしれない。


 
訳者プロフィール:著者プロフィール林ゆう子 Hayashi, Yuko

カナダ・トロント在住。 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。 訳書に『〈妻〉の歴史』(慶應義塾大学出版会、2006年)がある。

 

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