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大日本帝国のクレオール  立ち読み

『大日本帝国のクレオール

―植民地期台湾の日本語文学』

  

日本語版に寄せて (日本語による書き下ろし)(抜粋)

 

フェイ・阮・クリーマン
 
 

もう数年前のことだが、ボストンで開かれた日本文学研究会で『台湾万葉集』について研究発表をした時、コメンテーターを務めたドイツの学者からきびしい指摘があった。ドイツではナチス時代の作品を研究対象として取り上げる者はおらず、文学作品としての価値はまったく認められていないのに対し、台湾の日本語世代の詩作に光を当てようとする研究の意図がわからない。これらの人々を擁護し、彼らの政治責任に目をつぶり、名誉挽回を図ろうというのか、という趣旨であった。もちろん、台湾の日本語世代が戦前・戦後に書いた文学作品とナチス・ドイツ時代の文学を比較すること自体、首を傾げざるを得ない。歴史的な状況や自己選択の幅の相違は言わずもがな、そこには政治的主体性と言語的主体性の混乱がうかがえる。日本語世代を代表する『台湾万葉集』の歌人たちは、和歌という日本の詩形を通して、日本統治期の経験や終戦直後の転換期の困惑、そして次第に変遷していく言語風景に取り残された寂しさと忍従とを表現した――それは三一音節からじわじわと心に沁みてくる。私は彼らを擁護する立場にはなく、またその必要もない。

 

たとえば、「明日は征く僚鷲(ともわし)なりと残し来し「恩賜の煙草」そっくり渡す」(蕭翔文)という作品が描写しているのは、帝国軍人として徴兵され、戦(いくさ)に赴く前夜、生きて帰れるかも分からないまま、貴重なタバコを渡す情景である。ここで描かれたタバコがもたらしたであろう、ごく官能的でプライベートな愉悦と、帝国の公的な大義名分との絡み合いは、戦争翼賛、帝国主義的な歌頌とは程遠い。『台湾万葉集』にはまた、幼少時代(すなわち日本占領時代)を懐かしむ歌が多い。幼い頃の思い出もまた、「日本」という記号を通して濾過されている。歴史のグランド・ナラティブと個人のごく私的な深層感情、いわば公と私が錯綜し、複雑に絡み合いながら、理論やポリティカル・コレクトネスやナショナリズムだけでは解釈しきれない、どろどろした闇の部分を映し出している。

 

文学作品は政治的な文脈だけで読むべきではないのと同様に、政治環境の変化によってあるカテゴリーの文学が完全に黙殺されてしまうのも、やはりおかしなことだ。植民地時代の台湾にて日本語で書かれたテクストは、日本の文学史では一言も言及されていない。また、台湾では87年の台湾本島の戒厳令解除以降、88年に政治体制が「台湾化」し、その後の民主化を経て、2000年には国民党から民主進歩党(民進党)への政権交代が実現した。しかし、文学史は中国中心で、植民地時代の日本語文学はここからも外されている。本書の意図はまず、この戦後半世紀という長期にわたって沈黙を強いられ、忘却の彼方に押しやられてきた作家と文学作品を、21世紀の今に蘇らせることである。また、ポストコロニアル論にしばしば見られる抑圧者と被抑圧者、植民地支配者と被支配者といった二項対立の論法や、植民地時代のテクストから「抵抗」という要素を抽出することに執着する傾向に対して、その明白な白と黒の間に存在する、割り切れない矛盾や曖昧さに満ちた灰色の部分に焦点を当てる試みでもある。

 

近年、アメリカでは日本植民地研究が盛んになってきた。ピーター・ドウスのThe Japanese Informal Empire(1989)や The Japanese Wartime Empire (1996) をはじめ、ヨシヒサ・タック・マツサカ、ルイス・ヤングといった学者が、歴史・政治・経済・軍事・移民などに関する研究の成果を相次いで発表している。ただ、文学の研究は比較的遅れていると言えよう。しかし植民地という歴史的・社会的状況下における人間の心理を隅々までとらえ、植民地経験をくまなく表象できるものは文学をおいて他にない。欧米中心の植民地研究やポストコロニアル批評が大学のカリキュラムに組み入れられることが珍しくなくなった今、植民地文学を日本文学史に再編入せよとまでは言わずとも、南方と台湾における日本植民地文学をもう一度読み直し、再検討する時期がきたと確信している。

 

これまでは「日本」あるいは「戦後」という範疇で読まれてきた古典を、ポストコロニアルというより広いコンテクストで読むと新たな問題が提起される。第1部で紹介する英国の冒険作家スティーブンソンを主人公とする中島敦の『光と風と夢』は、中島本人の芸術論が展開されているだけではなく、そこには日英の帝国の微妙な平行性が暗示されている。また、敗戦の廃墟を背景にした荒んだ女の心模様に注目する林芙美子の戦後の傑作『浮雲』も、前半に描かれる主人公のベトナム体験に焦点を合わせると、女性の植民地体験と戦争責任が問われていることに気付かされる。

 

第2部と第3部では、西川満のような植民地台湾育ちの日本人作家、そして日本語で教育され日本語で文学を創作する台湾人作家を取り上げた。掲げている課題はそれぞれ異なるにせよ、これらの作家は「内地」と「外地」の差異から生じる矛盾、悩み、「人種」、階級、ジェンダーなどの諸変数が複雑に絡まり合う日常生活を、文学という手段によって再現している。ここで言いたいことは二つである。第一に、植民地経験は決して一面的なものではないということ。「内地」作家、「外地」作家、そして国籍は日本人でありながら植民地台湾以外に故郷と呼ぶべきところのない「湾生」植民地作家の三つの視点を合わせてはじめて、植民地体験の実相が浮かんでくるのではないかと考える。帝国の言説と現地での経験がオーバーラップするところに生ずる、間文化の混成、いわゆるクレオール化こそ日本の植民地主義の名残なのだ。第二に、コロニアル・テクストはかならずしも反植民地主義とは限らないという点である。たとえば、日本統治期に台湾人作家が書いた「日本語文学」の中でも最も扱いにくいのは、戦争の末期に出現した「皇民文学」である。皇民化イデオロギーが昂揚する決戦期にさしかかった頃、台湾人作家は日本人になるか否かの選択肢に直面した。その苦悶を描いたこのジャンルは、ナショナリズムという偏狭なレンズを通してとらえるよりも、植民地の近代化と封建主義との衝突と葛藤という観点から吟味するほうが、より生産的ではないだろうか。


 
著者プロフィール:著者プロフィールフェイ・阮(ユアン)・クリーマン 阮斐娜 Faye Yuan Kleeman

コロラド大学ボルダー校東アジア言語文明学科準教授
台湾・東呉大学にて学士号、お茶の水女子大学大学院にて修士号、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得(1991年)。ニューヨーク市立大学、カレッジ・オブ・ウィリアム・アンド・メアリーを経て1998年より現職。日本語での主な論文に、「戦後の日本語文学――在外日本人作家・在日外国人作家を中心に」『岩波講座・「帝国」日本の学知・第五巻東アジアの文学・言語空間』(藤井省三編、岩波書店、2006年)、「文化を視る複眼的な位置――アメリカにおけるチャイナポップ研究の現状」『中国21』(愛知大学現代中国学会編、2006年3月、風媒社)、「葛藤する言語」『ユリイカ』(2000年11 月号、青土社)等がある。

 

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