『沖縄の記憶』いよいよ5/21刊行!
「普天間」に象徴される沖縄問題とは一体何なのか。 なぜ、東アジア共同体構想は潰えたのか。
『沖縄の記憶――〈支配〉と〈抵抗〉の歴史』(奥田 博子 著)、『原爆の記憶――ヒロシマ/ナガサキの思想』(奥田 博子 著)、著者、奥田博子氏(南山大学外国語学部准教授)による「占領を再考する」を掲載しました。
関連書籍『原爆の記憶』(2010年6月刊行)はこちら

【お知らせ】

2012年5月中旬より
丸善&ジュンク堂渋谷店(人文コーナーの(8)古代〜近代哲学 付近)三省堂書店神保町本店(4F 人文書フロア)八重洲ブックセンター本店(4F)にて
「沖縄 〈忘却〉との闘い、〈抵抗〉の系譜」フェアを開催します。ぜひお立ち寄りください! フェアの様子はこちら
 

【メニュー】

  トップページ 関連書籍のご紹介 沖縄基地マップ  
 
 
   
沖縄の記憶――〈支配〉と〈抵抗〉の歴史 奥田 博子 著
大きな画像を見る

 

沖縄の記憶――〈支配〉と〈抵抗〉の歴史

    
 
    
奥田 博子 著
    
四六判/上製/464頁
初版年月日:2012/05/31
ISBN:978-4-7664-1935-1
定価:3,570円
  
詳細を見る
  
 


沖縄に〈戦後〉はない

「普天間」に象徴される沖縄問題とは一体何なのか。
なぜ、東アジア共同体構想は潰えたのか。

 

『原爆の記憶』(2010年6月刊行)で高い評価を得た著者が、日本人として真摯に向き合うべき「沖縄問題」に、真正面から挑んだ渾身の一冊。


▼本書の目次を見る

   
 

▼沖縄問題は戦後日本が積み残してきた問題の縮図である。
「沖縄」には3.11後の日本がもはや避けては通ることのできない戦後日本の「高度経済成長」の陰にある都市と地方の「格差」が刻み込まれている。商品、貨幣、そして資本が東京へ一極集中する一方、「日米安保」という名のもとに「(国家の)暴力装置」である(在日)米軍は沖縄へ移駐集約されてきた。今なお沖縄は「例外状態」にあり、「米軍基地のなかに沖縄がある」ことは言うまでもない。


▼本書では、明治政府による琉球王国の併合から、敗戦後の米軍による直接軍事占領(1945〜1972年)、1972年の沖縄返還/本土復帰、そして現在に至るまで、実質的には日米両政府の内国植民地であり続ける沖縄の苦悩と闘争の歴史を、米公文書や日米外交文書といった資料を基に、アメリカ、日本政府(〔日本〕本土)、沖縄(県、県民/市民)三者それぞれの立場を勘案しながら、沖縄問題の起源を探究する

   
   
   
   
本書「序」より
   
 


占領を再考する

奥田博子
(南山大学外国語学部准教授)


 

 本書全体を貫く問いは、日本から「分割された」沖縄を〈軍事植民地化〉することと引き換えに〈非軍事化=民主化〉の恩恵を受けてきたと言われる日本(本土)の「戦後」が、実際には、敗戦までは実現が難しかった市場経済を導入する好機に乗じて、米国の〈市場資本主義〉戦略に強く影響されてきたのではないかということである(i)。その点を考慮しつつ、本書では第T部から第V部において、かつては資源や労働力を手に入れるために領土を獲得する「手段」であった戦争がどのように経済活動そのものとなっていったかを分析し、結論において、ドワイト・D・アイゼンハワー米国大統領が1961年の離任演説で「軍産複合体(コングロマリッド:military-industrial complex)」と呼んだ軍部と産業界が相互依存的に結合した事態が政治から学術研究分野までを巻き込んで展開している現状をどのように民主的に統制できるかを再考する(ii) 。それはまた、(日本)本土は沖縄の〈抵抗〉を真に理解していないどころか知りさえもしないのではないかという問いにもつながるであろう。

 

 

 普天間「移設=新(基地建)設」をめぐって、本書第V部第9章で詳述するように、沖縄県全47市町村議会および県議会においては全会一致で県(および圏)内「移設」反対が決議され、2010年4月25日に読谷村で開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」には37市町村長および仲井眞弘多県知事が参加した。その1週間前の4月18日には、鹿児島県徳之島で全住民2万5000人のうち1万5000人が「米軍基地移設反対一万人集会」に参加することを通して日本政府が検討する普天間移設を拒否する姿勢を示した。このような反対集会は、住民投票と同じ意味をもつと捉えることができるであろう。

 

 

 また、現在の「普天間」に象徴される沖縄問題は、地政学的な観点から捉えなおすと、グローバル化のなかで経済的に抬頭してきた新興国、なかでも中国の政治的かつ文化的な力学の大きな影響を受けていることがわかる。たとえば、鳩山民主党政権は戦後の日本人が〈忘却〉してきた大日本帝国の「版図(領土)」を〈想起〉させるかたちで「ASEAN+3」の経済連携を強化しようと「東アジア共同体」構想を提起したことが挙げられる。一方で米国は、朝鮮紛争やヴェトナム紛争といった「熱い」戦争によって日本(本土)を経済大国とし、沖縄を内国植民地として戦後日本を米国の資本主義経済に組み入れることで確立してきたアジアにおける自らの国益を護ろうとしている。

 


 戦後日本の経済成長は、アジア太平洋地域における米国の覇権のもとに創出された「神話」である。「新米であれば独裁政権も支持する」という米国の極東戦略体制における二重基準は、反植民地主義運動が胎動する東アジアにおいて、「反共の砦」である日本(本土)の「一国平和主義」を許容してきた(iii)。たしかに日本は、東京オリンピックが開催された1964年から、国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)において、中国に抜かされる2010年までの46年間、米国に次ぐ世界第2位の経済規模をもつ大国という特権的な地位を享受してきた。日本の「奇跡」とも称されたこの「高い経済成長率の時代」は、一方で、沖縄を米国の「外(交)圧(力)」と日本の「政局」による政争の具とし続けることにもなった。
 

 

 丸山眞男が「無責任の体系」と批判した、内部的には無批判で馴れ合いが常態化し、外部の声に一切耳を傾けない脱人格化した統治権力の無責任性と独善性は今なお、改善されていない。

 

 

 そのため、資本主義と軍事が一体化するグローバル化のなかで、日本政府の仕組みに意思決定を行なった結果に対して責任をとる(法の)適正手続きを埋め込む必要があるのかもしれない。民主主義の宿命として、結果責任を負うことになる有権者一人ひとりが意思決定の過程に参加しなければ、不利な決定が下されることは避けがたい。実際、決定への積極的な参加は〈人間の安全保障〉、つまり地域の住民が主権行使に関与しうる発言権を恢復することにつながるはずである(iv)。

 

 


 

(i) Klein, N. (2007). The shock doctrine. London: Penguin.
(ii) ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー』; アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『〈帝国〉』(以文社、2003年); アントニオ・ネグリ、マイケ(iii) ル・ハート『マルチチュード 上・下』(NHKブックス、2005年)を参照のこと。
(iii)Jager, M. & Mitter, R. (1982). Ruptured histories. Cambridge, MA: Harvard University Press; Selden, M. & Hein, L. (Eds.), (2000). Censoring history. Armonk, NY: M. E. Sharpe; Seraphim, F. (2006). War memory and social politics in Japan, 1945-2005. Cambridge, MA: Harvard University Asia Centerを参照のこと。
(iv)アマルティア・セン『人間の安全保障』(集英社新書、2006年)。

 

(本書「序」より一部抜粋)

 
     
著者紹介
  
  
 

奥田 博子
(おくだ ひろこ)

南山大学外国語学部准教授。
米国ノースウエスタン大学大学院コミュニケーション学研究科博士後期課程修了。主要著書に 『原爆の記憶――ヒロシマ/ナガサキの思想』(慶應義塾大学出版会、2010年)、論文に“Japanese Prime Minister Koizumi's Call for International Cooperation,” Journal of International and Intercultural Communication 2, 2009, “Murayama's Political Challenge to Japan's Public Apology,” International and Intercultural Communication Annual XXVIII, 2005などがある。

 

   
  
福沢諭吉門下生関連書籍
   
原爆の記憶――ヒロシマ/ナガサキの思想 奥田 博子 著>
大きな画像を見る
 

原爆の記憶――ヒロシマ/ナガサキの思想

    
 
    
奥田 博子 著
    
四六判/上製/514頁
初版年月日:2010/06/25
ISBN:978-4-7664-1725-8
定価:3,990円
  
詳細を見る
  
 

戦後、ヒロシマとナガサキは、
一体何を象徴し、神話化してきたのか


▼敗戦/終戦、そして原爆投下から65年。戦争体験者や被爆当事者が失われつつある今、あらためて原爆の投下と被爆の人類史的意味を批判的に検証していくなかで、国境と世代を越えて、ヒロシマとナガサキを考える意義を明らかにしていく。

▼本書の目次を見る

   
 

▼日本の戦争被害者意識を正当化する根拠として、「唯一の被爆国/被爆国民」 という 「集合的記憶」 を構築し、自らの戦争責任、戦争犯罪に対する免罪符を与えようとしてきた日本政府と、そのようなナショナル・アイデンティティの構築へのマスメディアの介在を分析する。
▼広島市、長崎市、原爆資料館等の協力を得て、写真や資料を多数掲載。

   

特別寄稿 「なぜ、いま、原爆をあらためて考える必要があるのか?」 奥田博子 (南山大学外国語学部准教授)をご覧いただけます。

  

 

 特別寄稿
 なぜ、いま、
 原爆をあらためて考える必要があるのか?

 奥田博子 (南山大学外国語学部准教授)
 をご覧いただけます。

   
   
 
 
ページトップへ

 

Copyright (C)2004-2024 Keio University Press Inc. All rights reserved.