『新標準講義民法債権各論』の執筆を終えて
―「新標準」とは、そして「人生の必修科目」とは
池田真朗
慶應義塾大学法学部教授、同大学院法務研究科教授
2010年3月、拙著『新標準講義民法債権各論』が慶應義塾大学出版会から出版され、これで昨年上梓した『新標準講義民法債権総論』とのセットで、債権法の標準教科書が完成することになった。ちなみに本の帯は総論が深い赤、各論が深い青で、これで2冊並べると慶應カラーになるという趣向である。
まえがきは、両書とも、同じ文章で始まっている。「現在、法学教育は向かうべき方向を模索している状態にある。法科大学院制度が創設されて以来、一方で法学部でも法曹志望者に向けてはより専門志向的な講義が要求される部分があり、他方で、法曹を志望しない人々にはより教養教育的に法律学を教授すべきだという見解もある。もっとも、法学部から一般の社会人になる人々にも、相当に「社会生活で役に立つ」法学教育がなされなければ、法学部で学んだ意味がないということになろう。・・・・・・」
では、どうすればいいのか。そこが私が最も腐心したところであり、『新標準講義』というタイトルを選んだ所以なのである。前書きは、こう続く。 「この困難な時代に、だからこそ、法曹志望の学生にもそうでない学生にも、また、大学で学ぶ学生にも一般市民にも共通な、「現代の法律学習のスタンダード」というべきものがあるはずだと私は考えた。それは、知識量において標準的であるというだけでなく、学習の姿勢、ノウハウ、といったものについても、どの進路に進む学生・市民にとっても標準的に与えられるべきものがあるはずであって、それを探求することが、法学教育に必要であり、なにより最大多数の学生・市民の利益や幸福につながることと考えたのである。」 つまり、標準教科書とは、詳細な体系書の記述を簡単にしただけのものでは決してないはずなのである。そして、教師は、単に適当な量の知識を伝授するのではなく、学び方、学びのポイント等も教えなければならないはずで、しかも、その知識が、法律学の場合には、現実の紛争解決に役立つものとして学生諸君の身につくように教えなければならないと私は考える。そういうトータルな意味の「教え方」にも、21世紀の法学教育として要求される標準レベルがあるはずだ、と考えて、それらの要求水準を満たす教科書を世に送ろうと思ったのである。 僭越ながら、そういう教科書はこれまでわが国の民法教科書には存在しなかった、と思う。本書と姉妹編の債権総論が、100パーセントその狙いを実現できているかどうかは読者の判断に待たなければならないが、著者としては、30年に及ぶ慶應義塾大学法学部での債権法の講義のノウハウを盛り込んで、現状でのベストを尽くしたつもりである。 折しも、近年は、民法ことに債権法の改正論議が高まり、2009年11月からは、法制審議会の民法(債権関係)部会での審議も始まっている。私は、そこに至るまでに改正提案を出した3つの学者グループすべての検討作業に参加した経験も生かして、今回の『新標準講義民法債権各論』のほうには、その改正論議の方向性も盛り込んだ。たとえば、ひとつの改正提案では、民法財産法を、本書が主要な対象とする「契約」を中心に再構築しようとしている。当事者の合意に、これまで以上に強い拘束力を求めようとするもので、それは世界の趨勢にも合致している。そこで本書では、そういう発想での記述も適宜盛り込むようにし、また、類書にはまだあまり見られないが、民法の条文にはないが社会で広く行われているいくつかの新種契約についての記述も加えた。 具体的なレベル感としては、本書と姉妹編は、法学部3・4年生と法科大学院未修者クラスのテキストとして最も適性が高いと考えるが、社会人や法律以外の学部学生の独習にも適するように工夫してある。読者の学習効率を考えたそれらの工夫として、本書では、学習のKey Point、学習のKnow How、Plus One、Tea Timeなどの項目を本文中に挟んでいる。これらを学習のアクセントとして活用し、また楽しんでいただければ幸いである。 さて、ここで改めて読者の皆さんへメッセージを送っておきたい。 まず、自分は別に法曹になるつもりはない、民法の単位が取れればいい、と思っている読者へ。本書の裏表紙側の帯を読んでほしい。本書で扱っている、契約や不法行為の知識を持たずに人生を生きることは、実はかなり怖いことなのである。これらの知識は、知っていて当たり前、知らないと生活の中で思わぬ不利益を被る恐れがある。帯にも、本文にも書いたとおり、私は「債権各論は人生の必修科目」と考えている。それが本当かどうか、本書を読んで確かめてほしい(債権総論のほうも、保証のあたりの知識がないと、かなり悲惨な目にあう危険がある)。こういう実利的な理由で民法債権法を勉強してもらって、まずはいっこうにかまわない。
次に、将来法曹を目指している読者、あるいは企業等で法務の仕事につくことを希望しているプロ志向の読者へ。本書のポイントは、標準テキストであるから詳細な体系書の記述を簡略にする、ということではなく、本質的な発想を転換しようとしているところにあることを理解してほしい。つまり、現代の法学教育の第一義的な意義は、「紛争解決(ないしは紛争予防)の手段としての法」というものをいかに学び取らせるか、そしてその知識をいかに「実際に活用可能なもの」とさせうるか、というところにあると私は考えている。そうすれば上に述べたように、当然に、学ぶ対象の民法だけでなく、それを学ぶための学習のノウハウ等もしっかり伝えるところまでが、テキストに含まれなければならない。だから本書では、「学習ガイダンス」に第7章の1章分を当てて、試験の受け方から進路指導まで行っている(姉妹編でも同様に、過去の試験問題も収録し、判例の読み方、論文の書き方まで指導している)。学習対象についても、同じ観点から、いたずらに学説を羅列したりはせず、この社会の中での民法の意義や役割をできるだけ明瞭に伝え、得た知識が使いこなせる、そして次の段階の学習にもスムーズに発展できる能力を植え付けることを旨としている。姉妹編の帯の裏側に、「法学部で勉強したくらいじゃ、何もわからないんですか」とあるのは、姉妹編に収録した私の過去の学年末試験問題に出てくる、夫が失踪した妻の悲痛な叫びである。君たちは、こういう人々の救い手になれなければならない、ということを自覚してほしい。
今回の出版にあたっては、慶應義塾大学出版会の岡田智武氏と、慶應義塾大学通信教育部分室教材編集課の喜多村直之氏に大変にお世話になった。ことに岡田氏の誠意と情熱が、本書と姉妹編の隅々に満ちている。読者が本書を手にとって、読みやすい、いい仕上がりと思ってくださったとしたら、それは、Tea Timeというコラムに使われているコーヒーカップのイラストの大きさに至るまで、何度も何度も検討してくれた、同氏の編集者としての心意気のおかげである。
2010年4月
池田真朗
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