ボサノヴァが生まれた海の街へ
福嶋 伸洋
十八歳の四月、築年数よりはるかに古びて見える学生会館にあったボサノヴァ・サークルの部室を訪れたときには、六年後に自分がリオデジャネイロに留学することも、その後ブラジル文学を生きる道とすることも想像していなかった。サークルといっても、散らかり放題のその一室で、数人の先輩が缶ビールを飲みながらバーデン・パウエルのギターソロを爪弾いている、というような場だった。そのなかで僕はジョアン・ジルベルトの歌とギターを、文字通りゼロからひとり試行錯誤しつつ真似していた。音楽の心得がある後輩たちが来てからは、セルジオ・メンデスのコピーなども始めた。いずれしてもこの「ボサ研」は、数多くのプロミュージシャンを輩出する「ジャズ研」などと比べれば、というか、その名前を出して並べるのも憚られるほど、慎ましい集まりに過ぎなかった。
フランス文学を修めたいと思って大学に入り、フランスやドイツの思想に関心を寄せるようになった僕が、歌のために学び始めた、まだ覚束ないポルトガル語を使ってブラジル文学を研究する決意をしたのは、一時の気まぐれのためだっただろうが、同じ頃に読み耽っていたボルヘスやガルシア=マルケスといった南アメリカの作家から追い風を受けていたこともまちがいない。大学院に入ったときにも、ヴィニシウス・ヂ・モライスの他にブラジルの詩人の名前は知らないに等しく、リオに留学したのさえ、どの大学のどの先生に学びたい、という意志よりも、ボサノヴァの数々の歌のなかで夢みていた街の空気を呼吸したい、という想いに強く導かれてのことだった。
イパネマやコパカバーナの、熱帯の陽が照りつけるビーチに本を持っていっても、頁を繰る手は動かない。レブロンのビーチで日光浴する人びとを描いたドゥルモンの詩にはこうある。「無知な者たち、あまりにも無知な者たちは、何も知らない/だが砂浜は熱く、心地よいオイルがあって/背中にそれを塗ると、すべてを忘れる」。しかし、リオに滞在していたこの年、深夜になっても車通りの減らないコパカバーナの、八階の小さなフラットで、井上究一郎訳『失われた時を求めて』に夜毎熱中し、初めて読み通した(のちには鈴木道彦訳を二度読んだ)ことが、未来に着手される論文の方向を定めた。その道すじがおそらく必然と呼ぶべきものだったことも、しだいにわかっていった。
また、ボサノヴァの父アントニオ・カルロス・ジョビンが、盟友ヴィニシウスを始め、バンデイラ、ドゥルモン、セシーリアの詩を愛する文人だったことを思えば(ジョビンの《三月の雨》や《誰もいない浜辺》などの詞には、彼らの詩のこだまが響いている)、ボサノヴァという南十字星だけを頼りに海に出た僕がこれらのモダニズム詩人たちのところに漂着したのは、偶然でなかっただけではなく、最短の航路によってだったとさえ言えるのかもしれない。
リオの〈時〉を描き出そうとするこの本の二百数十頁の余白にはまた、このようなもうひとつの〈時〉も流れているのではないかと思う。およそ学究の徒としての資質を持たない僕に、学部時代からポルトガル語をご教授くださっている黒澤直俊先生はまた、言語と向き合う際の真摯な姿勢の範を示してくださった。博士課程の恩師、和田忠彦先生は、ハイデッガーの言葉を借りれば、思索することが詩作することとなり、詩作することが思索することとなる域へと向かう心構えを、言葉によって、またそれ以上に言葉を超える何かによって説いてくださった。そして、本書の元となった論文をたまたま目に留めてくださった編集者の上村和馬さんが、無名の書き手にそもそもの初めから賭けてくださったことで、この本は言うなれば、生まれる前に生まれ変わった。
忘れ去られたポルトガルの詩人のひとり、ジョアン・カブラル・ド・ナシメントが、同じ言語を話す大西洋対岸の国へ宛てた、その名も《ブラジル》という詩に、こんな一節がある。「感じ、思うことを、わたしはポルトガル語で言うことしかできない/ほとんど沈黙のなかで、なぜならわたしたちは数少ない存在だから/ほとんど家族の内輪話のように。しかも、たった一度きりの」。ポルトガル語において、ポルトガル語から何かを思考するという試みは、今もなお、あるいは今はかつてにも増して、声を出さずに話そうとするような振る舞いなのだろうか。
ジョアン・ジルベルトが奏法と歌唱法とを創り出したボサノヴァは、沈黙、静寂の音楽だと言われる(あるいは、カエターノ・ヴェローゾの歌にあるように、「沈黙を超えるのはジョアンだけ」と)。ただし、ギターの低音弦でスルドのリズムを、高音弦でパンデイロのリズムを再現し、囁くような歌声でサンバの大合唱を象る、カーニヴァルの熱狂をその孤独の裡に秘めた静寂。ポルトガル語で書かれた詩をめぐって、ポルトガル語を経て考え、さらに日本語で書き出すという試みもまた、黙したまま語ろうとすること、口をつぐむことに等しいのだとしても、その沈黙がジョアン・ジルベルトの音楽のようなものとなるごくわずかな可能性に賭けたいと、僕は思う。
|