「人文研探検―新京都学派の履歴書(プロフィール)―」
第1回
連載再開にあたって―あるいは、方法としての京都―
ひょんな因果で尻切れトンボのまま中断していたささやかな連載が、ひょんな御縁で再開することとなった。タイトルは「人文研探検―新京都学派の履歴書(プロフィール)―」*1。京都大学・人文科学研究所(京大人文研)を拠点として活躍した桑原武夫、貝塚茂樹、今西錦司、梅棹忠夫といった綺羅星のごとき研究者たち。その知的格闘の軌跡を、京都市左京区というローカルなトポロジーと二〇世紀世界史というグローバルなダイナミズム、その双方を見据えつつ辿り直してみたい。そんな漠然とした、あるいは無謀とも受け取られかねない問題意識から出発した試みだった。
こうした学史の再検討が必要な理由、それは端的にいって「在庫確認」である。無意味に過去をほじくり返す無益な懐古趣味では決してない。近代日本の知の蓄積、その有効性を現在の視点から確認すること。それは、冷蔵庫の中身を見てから夕食の献立を考えることのように、現在を生きる主体に使えるリソースを拡張させる。手持ちのカードを確認せずに勝負に挑むことが愚かなのは、ゲームも学問も大差ないはずだ。
ということで、再開にあたって、もう少し弁明しておこう。
まず、「京都/京大」を顕彰したいわけではない。というのも、筆者がたまたま新京都学派の「遺跡」ともいうべき京大人文研に所属しているため、そうした印象を与えかねないようなのだが、筆者としては本連載が「京大神話」や「京都オリエンタリズム」の再生産に堕することは、可能な限り回避するつもりである。いまさら、「東京/東大」に「京都/京大」を対置するという善悪二元論が求められているわけではないだろう。
にもかかわらず、「東京」をもって「日本」を代表させてしまう思考と実践は、あいかわらず、この国の知的風景を根強く支配しているのではないだろうか。あるいは、「東京」以外に見るべきものはないという予断、「東京」以外は省略しても大過ないとする過信に、深く捉えられてはいないだろうか。ここ十数年に蓄積された近代日本の知の再検討に大いに触発されつつも、筆者がなお不満を感じてしまう点である。
「東京」を生きる主体は、あるいはそれでかまわないのかもしれない*2。だが、「日本」を生きる大多数の主体にとって「近代」の経験はそれほど均質的なものではない。そうした「近代」経験の重層性・複数性に向かい合うためには、観測ポイントの重層化・複数化が不可欠だ。筆者が「京都」にフォーカスを定めるのは、たまたま諸般の事情でいくばくかの土地勘が働くからに過ぎず、「京都」は単なるテストサンプルに過ぎない。いわば、「方法としての京都」。それでも、従来の偏りを明るみに出し、その改善を図る一つの手がかりにはなるはずだ。
とはいえ、新京都学派を論じることに戦略的メリットがあることは事実で、それが何かと問えば、一つは「越境性」ではないかと考えている。かつて筆者は、京都の学問的風土の特徴を、@分野にとらわれない越境的な問題意識、A所属にとらわれない開放的な人的交流、B成果にとらわれない問題発見的な研究活動、の三点であると推測したことがある。いいかえると、盆地という狭隘な空間に雑多な知識人が密生する京都の知のエコロジーは、単一分野の専門家だけで集まるには規模が小さく、ために問題意識は必然的に拡散し、結果として研究成果がなかなか形にならない、ということである*3。
そして、その知のエコロジーのポテンシャルを呼び込み、エディットすることに優れた「目利き」というのが、新京都学派の実態なのかもしれない*4。だとすれば、新京都学派を論ずることで、分野を超えた知の在り方をトレースすることも不可能ではないはずだ。この戦略の妥当性は、今後、彼らの作品が産み出されるプロセスを検証することによって、次第に明らかになることだろう。
もう一つ、新京都学派を考えるキーワードとして「プラグマティズム」をあげられるかもしれない。空理空論に遊ぶことを潔しとしない、徹底した現実重視の感覚である。新旧の「京都学派」を分かつ最大のポイントはここだろう。それは、ヒマラヤ・カラコラム登山やアフリカ探検といった数々のフィールドワークにも具現されるし、映画や大衆文学といったポピュラーカルチャーへの関心に、そして何より新京都学派の代名詞ともいうべき「共同研究」を支えるバックボーンとしても作用する。このプラグマティムが何に由来し、いかなる条件においてどのように機能したかについては、その功罪両面にわたり検証していきたい。
問うべき論点はさらに山積するが、まずは、現在を問うアクチュアリティ、先達へのリスペクト、そして、素材を読み解くリテラシーを追い求めつつ、この作業に踏み出してみよう。
日本の人文・社会科学の到達点と問題点を「方法としての京都」から試掘してみること。それが、本連載のモチーフである*5。
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『10+1』48-50(2007.9―2008.3)に計3回掲載。 |
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誤解のないように言い添えておくと、「「東京」を生きる主体」とは、「東京都民」のように居住地によって規定される実体を措定しているわけではない。「東京」に住んでいようがいまいが、「東京」を参照することによって充足してしまう知性の在り方こそが、ここでの論点である。 |
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*3 |
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拙稿2005「主な登場人物―京都で柳田国男と民俗学を考えてみる―」『柳田国男研究論集』4 |
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*4 |
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拙稿2007「『雲岡石窟』を支えるもの―京都・雲岡・サンフランシスコ―」『10+1』48 |
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この旅路のガイドブックとして、京都大学人文科学研究所編・発行1979『人文科学研究所五十年』、斎藤清明1986『京大人文研』(創隆社)をあげておこう。 |
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