井筒俊彦入門
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  3つの人生

3つのじんせい

   
 

 在イラン時代の教え子でもあったナスロッラー・プールジャヴァーディーを相手に、晩年の井筒俊彦が、自身の公生涯を語った記録が残っている。ナスロッラーがイスラーム研究発展の経緯をたずねたときだった。突然、自分は生涯を3つの時期に分けて考えることがある、と井筒俊彦がいった。その時の話題がイスラーム研究だったこともあって、彼の発言もその周辺で語られているが、イスラームに限定しない視座に立てば、以下のようになるだろう。

 

 第1期は、ウラマー(イスラームの大学者)ムーサー・ビギエフとの邂逅以後、1941年処女作『アラビア思想史』から、『神秘哲学』『ロシア的人間』『コーラン』の翻訳、はじめての英文著作、Language and Magicを経て1961年、以後18年にわたる海外生活に入るまで。

 

 第2期は、カナダ・モントリオール・マギル大学を皮切りに、イラン・テヘランのイラン王立哲学研究所まで数々の拠点を移動しながら、エラノス会議をはじめとした海外での学際生活を過ごした時期。すなわち、一九七九年、ホメイニのイラン革命激化のため、日本に帰国するまで。

 

 第3期は、日本に帰国後『意識と本質』、『意味の深みへ』『コスモスとアンチコスモス』『超越のことば』、そして東洋哲学覚書の第1部『意識の形而上学』を経て、死に至るまで。彼が急逝したのは、遺作となった東洋哲学覚書の第2部を書こうとしていた時だった。冥府に至るまで、間断なくその道程は続いたといっていい。

 

 ナスロッラーとの対談は、それまで自分史についてあまり語らなかった井筒俊彦のほとんど唯一のまとまった発言として興味深い点もあるが、注意深く読むとやはり自己を語るに慎重だった彼の姿が浮かび上がってくる。
 研究者として、なぜイスラームにこれほど没入したのかという質問に、はっきりとはわからない。よくたずねられるのだが、「一種謎めいたもので」自分にも論理的な説明が難しい。いえるのはイスラームが自分を掴んだということくらいだというのである。

 

 あながち偽りでもないのだろうし、読者も日本人である井筒俊彦が、学究的にムスリム(イスラーム教徒)以上にイスラームに接近しえた事実を前に、その機縁は言葉にできないといわれれば、納得せざるをえない。

 

 しかし、後日行われた遠藤周作との対話で、井筒俊彦は同じ質問に対し、違った発言をする。イスラームとの邂逅についてはよく訊かれるのだが「いちいち答えるのも面倒だから、偶然の連続で思わず知らずそういうことになってしまった」とこたえることにしているが、実は、中学生時代に起ったある出来事が切っ掛けになったといい、キリスト教の「神」を巡る嘔吐体験について語り始めた。イスラームに出会う以前、ユダヤ教、キリスト教、イスラームといった宗教の枠に収まらない「神」との邂逅が、まずあったというのである。

 

 井筒俊彦の公生涯は、彼自身がいうように3つの時節を考えることで、明瞭になるだろう。しかし、彼の人生の奥、境涯ともいうべき生の実相に迫りたいと願うなら、それ以前、幼少期にはじまった父親との修道生活、中学生時代に経験した言葉とコトバを巡る経験、そして、嘔吐体験。さらには西脇順三郎との出会いを看過することはできない。本稿ではこの時節を、第1期以前ということから「ゼロ期」と呼ぶことにする。

 

 1988年に行われた安岡章太郎との対談で井筒俊彦は、自らを「一種の運命論者」だといった。彼の生の座標軸を端的に表している発言として興味深い。革命の気勢が、乾いた草原に放たれた炎のように広がりゆくとき、テヘランにあった井筒俊彦の居宅の近くでも、銃声音が耳をつんざいた。

 

 夜には陰鬱な雨がよく降った。どこか近くの建物の屋上で、突然、神を賛美する悲痛な叫びが響く。たちまち四方八方の屋上から他の声がそれに唱和する。王政に対する激越な挑戦だ。それを下から狙い撃ちする政府軍の兵士達。暗い夜空を見上げる私の心に、何とはなしに、運命という言葉が去来した。
(『意味の深みへ』あとがき)

 

 運命論者は予定論者ではない。すべての出来事はあらかじめ定められていて、人間がそこに全く無力であるというのが予定論者だとすれば、運命論者は、真逆の人生を進む。運命を信じる者は、自らを運ぶ流れに抗わない。むしろそこに意味を探す。逆境であるかどうか判断する前に、避けがたい現在をひたすらに生きる。古代の人々は人生の奥に、人間を越えた抗し難い働きをしっかりと感じていたのだろう。古代ギリシアの時代、運命は「モイラ」という名の神だった。

 

 この時井筒俊彦は、母語である日本語で、思索することを「運命」が求めていると思い定め、イランを後にしてしばらくすると『意識と本質』の連載を始める。彼は予想しただろうか。その著作が彼の主著になった。

 

   
   
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若松英輔

 

 1968年新潟生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒。評論家。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞評論部門当選。その他の作品に「小林秀雄と井筒俊彦」「須賀敦子の足跡」などがある。2010年より『三田文学』に「吉満義彦」を連載中。『読むと書く――井筒俊彦エッセイ集』(慶應義塾大学出版会、2009年)『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010年)を編集。2011年処女著作となる『井筒俊彦――叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)を刊行。

 

 

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