新世紀民法学の構築  民と民との法を求めて 池田 真朗 著 慶應義塾大学最終講義(慶應義塾大学出版会)
     
 
   
 

「最終講義」を考える
 ――『新世紀民法学の構築―民と民との法を求めて』を出版して

     
 

池田真朗

 
   
 
 

 このたび私は、慶應義塾大学の65歳の定年を迎えるにあたって、法学部教授、および併任した大学院法務研究科(法科大学院)教授として行った最終講義・講演の記録を、一冊にまとめて上梓した。

 最終講義というのは、大学における風物詩の一つといえる。「〇〇教授最終講義」などと墨書された看板が校舎の入り口に立てられたりして、あああの先生も定年か、などと見上げながら通り過ぎた記憶が、大学人なら誰にでもあろう。

もっとも、その最終講義のやり方はさまざまである。定年退職する年の、学年末試験前最終回の授業をそのまま最終講義にあてる方もあれば、学事暦がすべて終わった春休みに、卒業生などにも公開して行う方もある。中には、最終講義はしたものの、また4月から同じ大学で非常勤講師や客員教授として教壇に立ち続けるケースさえある。

  新世紀民法学の構築  民と民との法を求めて 池田 真朗 著(慶應義塾大学出版会)
 

 ただ最近は、全国的にはこの最終講義が減ってきているのだという。それは、本来の定年時まで数年を残して、第二の職場の私学などに早めに移る場合には、とりたててこの最終講義を行わないケースが増えているからのようである。
 つまり、移る先の大学としては、できるだけ早く来てくれるに越したことはないので、70歳定年が多い私立大学の場合でも、たとえば65歳定年の国立大学の教員についても、定年一杯まで勤務した人はもう採用しない、あるいは特任教授という、給与水準も下げ、教授会などにも出席しない教員としてしか採用しない、という大学が最近は多い。
 そこで、かなり著名な国立大学の教授たちも、61、62歳あたりでどんどん70歳定年の私学に移籍するケースが増えている。そうするとその人たちは、いささか気恥ずかしい思いもあるのか、最終講義と銘打ったものを行わないまま、元の大学を去っていくのだという。
 その点、私は大変幸いだった。乞われて武蔵野大学の新法学部の設置準備委員となって2012年の秋から業務に従事し、2014年4月の開設からは客員教授という肩書で一期生の授業も担当し、このたび、晴れて2015年3月に慶應義塾を65歳の定年まで「完職」して、4月から武蔵野大学法学部の教授兼法学部長として勤務することになったのである。
 そういう経緯であったから、私にとっては、ちょうど丸40年お世話になった慶應義塾に感謝するためにも、また迎えてくれる武蔵野大学の温情に応えるためにも、この「完職」を飾る最終講義をしっかりと行うことが大きなテーマになっていたのである。

 それに、実は私はそもそも若い頃の経験から、将来は最終講義をしっかり行わねばならないと、自らに義務付けをしていた人間だった。
 そのきっかけになったのは、1979年にパリ第Ⅱ大学パンテオン校舎で聴いた、ピエール=レイノー教授の最終講義だった。当時私は、慶應義塾大学法学部の助手から専任講師に昇任した1978年春から2年間の予定で、福澤基金を得てパリに留学していた。パリ第T大学のジャック=ゲスタン教授に受け入れをしていただいたのだが、同大学大学院の博士課程の学生登録もして、同じパンテオンの旧パリ法科大学の校舎を使っていた、第Ⅱ大学のレイノー教授の債権法やサンタラリー教授の建設法(請負中心の債権法に物権法、都市計画法などを加えたもの)の講義なども聴講させていただいていたのである。
 レイノー教授は当時のフランス民法学界の第一人者と言うべき方で、私は個人的にも同教授から、教授が指導した若い学者の未公刊の博士論文をお借りしたりしていた。普段は大家の雰囲気で格調高く講義を進める教授だったが、私の依頼を快く受け入れてくださったときに見せた気さくな態度が、今も強く記憶に残っている。
 その日は大講義室の前のほうにテープが張られ、最前列の数列が教授たちの着席する席とされていた。それ以外には何の掲示も装飾もなく、私は何も知らなかったのだが、最終講義には聴講する教授連も教授正装で出席するのである。開始直前に錚々たる顔ぶれが、皆さん襟に毛皮の飾りがついたマントを背広の上に着用して現われ、大講義室は粛然とした雰囲気になった(当時第U大学ではこのような伝統的なやり方をしていたので、博士論文の公開審査でも教授正装であったようだが、第T大学のゲスタン先生らは、開明的なやり方を採用し、公開審査も普通のスーツでやっておられたから、その後ゲスタン先生の最終講義などがどうであったかは知らない)。
 レイノー教授は、途中まで債権法の授業を淡々とされて、後半に、ご自分の学者生活を振り返っての話をされた。その中で教授は、アルジェリア戦争で教え子を戦地に送ったことが一番つらかったことだと言われて、目に涙をためられたのである。終了後に、講義室の出口で会ったサンタラリー教授から、très impressionnantな(印象的な、感動的な)講義だったねと話しかけられたのを覚えている。
 留学から戻って慶應義塾の教壇に立った後も、民法部会の最年長リーダーであった田中實教授が定年を迎えた際には、先生から債権総論の講義を引き継ぐことになった私が、先生のご依頼で、先生の最終講義とその後の懇親会を取り仕切る役目をお引き受けすることになった。田中先生がお弟子さんを法学部に残しておられなかった関係から、当然の責務と思って司会その他をこなしたものである。
 これらの経験を持つ私にとっては、最終講義は当然のように「しっかりきちんと」行わなければならないものだったのである。

 とは言っても、今回私は、時代の流れに竿さすように、前後4回にわたる最終講義・講演をし、それを一冊の本にまとめた。これは、学部長秘書さんにも、「前代未聞」と驚かれた。しかしそれは私にとっては論理必然のことであったのである。
 はしがきにも書いたことだが、そもそも「最終」の講義・講演がいくつもあるのはおかしい、というご意見があるかもしれない。しかし私は、法学教育には、導入教育、専門基幹教育、専門展開教育、職能教育(法科大学院での教育)という段階があり、その段階ごとに内容も方法論もはっきり異なるべきものであると考えてきた(さらに市民教育ないし教養教育というものもある)。そこで講義もその段階ごとに工夫して、またそれに合わせた教科書や補助教材を出版しながら実施してきたのである(その段階的法学教育論は、日本学術会議の会員・法学委員長として取りまとめに関与した、大学教育の分野別参照基準に関する報告書にも反映させている)。
 そこで、そのそれぞれの教育段階ごとに、最後の講義・講演をする機会を設けて、1975年に法学部助手に就任して以来、ちょうど40年間、一貫して続けてきたこの慶應義塾での研究・教育活動に、自分なりの締めくくりをつけ、あわせてこれらの講義・講演の全体で、ささやかながら一法学者としての私の仕事の現時点での全容を明らかにしたいと考えたのである。

 3つの最終講義は、すべて本来の授業時間を使いつつ、完全一般公開で行った。収録順に言うと、最初の法学部最終講義「債権譲渡研究の四十年」は、私のライフワークとなった債権譲渡研究を中心とした債権総論の講義であるが、先述の分類でいうと、専門基幹教育から専門展開教育のレベルで話している。次の法科大学院最終講義「民法と金融法―わが法科大学院研究・教育の軌跡」は、法曹となる人たちを対象にした、私の名づけた職能教育のレベルということになる。一方、三番目の日吉最終講義「法学情報処理―民事法学の資料検索・引用法と論文の書き方」は、導入教育から専門基幹教育のレベルになる。大学1、2年生、つまり旧来のいわゆる一般教養課程の学生を対象としているため、法律学の専攻者以外の人々にも理解していただけるように、文学、書誌学、美術などの話題をからめて話しているものである。そして、最後の退職記念講演「わが民法学と国際活動―国連、フランス、ブラジル、カンボジア」は、私の研究会(ゼミナール)のOBOGの求めに応じてこれも一般公開として行ったもので、法律学と関係のない市民の皆さんにも関心を持ってもらえる一般的な内容を含んでおり、専門教育のレベルに市民教育・教養教育の内容を加えたものということになる。さらに付録として、「2013年度慶應義塾大学秋学期卒業式教員代表祝辞」を加えた。これは文字通り、この学窓を巣立っていく人たちへのメッセージである。

 いずれの最終講義・講演も、多数の来場者を得ることができたのは大変うれしいことだった。とりわけ、他大学の先生方や、法曹、金融実務家の方々など、慶應義塾の関係者でない方々も多数足を運んでくださったことには、感謝してもしきれない思いである。
 中でも学部最終講義は、もともと履修学生が多数いたこともあって、通常の講義室では入りきれない恐れがあって、三田キャンパス最大の、800名収容の西校舎ホールで行った。さすがにこれは満員までにはならなかったが、3月の土曜日に行った最終講演には、ゼミのOGOB(池田ゼミでは正式名称はOGOB会で、OGが先になる)が200名ほど出席し、そしてそれを上回る人数の一般の方々のご来場があって、460人定員の講義室が文字通り満席となった。そしてその中には、平日の最終講義に出られなかった同僚教授をはじめとして、東北大学の教授、三田法曹会の前会長、日本・カンボジア法律家の会の弁護士さんなど、法律専門家の方々が多数いらっしゃった一方で、私が会長を務める慶應義塾大学書道会のOBOGの皆さんや、私が関係する奨学金の団体である竹中育英会のOBOGの皆さんが、大挙しておいでになっていたし、私の中学、高校、大学のそれぞれの友人たちも顔をみせてくれた。さらには、三田の名物ラーメン店「ラーメン二郎」の店主ご夫妻もおいでになっていたのである(私と二郎のおやじさんとの長年の付き合いについては、『三田評論』2013年4月号の「三人鼎談」をご参照いただきたい)。
 それらの方々のお顔を見ながら、私はうれしかったし、私らしいなと思った。また、慶應義塾らしいなと思った。ただ、思わず「今日ご出席の皆さんに等しくご満足をいただくというのは、大変難易度の高い講演になります」とあいさつをして講演を始めたのは、かなり本音のところであったのである。

 さて、もう一度「最終講義考」に話を戻す。私が私淑し、また実際にもいろいろお世話になった東京大学の故星野英一教授は、愛弟子の大村敦志教授のまとめられた一書によると、最終講義は、通常授業の最終回をあてられるパターンであったとのことであるが、満席の大講義室で、講義の最後にごく短い挨拶をされ、noblesse obligeというお話をされたとのことで、それが大村教授に強い印象を残した。私の師匠の故内池慶四郎教授の場合は、もともと派手に構えるのが嫌いな方で、最終講義も、福澤賞受賞の講演も、さらりと終えたのだが、実はその中に非常に含蓄のある話があり、もっと聞きたいと思うところで終えてしまわれるのである(だから聞き手には渇望と反芻が残る)。さらに、慶應義塾が生んだ民事訴訟法の泰斗、故伊東乾教授は、最終講義の冒頭に、黒板に大きく☆を描いて(学問の導きの星の意であった)、聴衆を驚かせ、独特の格調の高い講義で聴衆を伊東ワールドに引き込んだ。
 何が言いたいかと言えば、これら尊敬する先生方の真似は私にはできないし、真似をしてもかなわない、ということである。それだからこそ、今回私は、自分の現在持っているものをすべて取り揃えるという考え方で、私なりに周到に準備をし、最初からその全体を一冊の本にまとめる計画を立てて、4つの講義・講演の原稿を作ったのである。
 実はこれは、パリから帰って1年後に、師匠の内池先生とクラス分けをして法律学科の債権各論の講義を持たされたときに考えたのと同じ発想であった。師匠は(残念ながら私は学部時代に師匠の大教室講義は受講したことがない)非常に詳細に講義を進められるのだが、毎年債権各論の途中で終わるという。それで、駆け出しの私は、せめて債権各論の全範囲を終えるという作戦で、少しでも師匠に対抗しようとしたのである。三つ子の魂、というが、コアのところでは、私は駆け出しの頃と少しも変わっていないのである。

 さて、そもそも私のように、一か所の大学に40年、などという経歴の研究者は、既に減りつつあり、これからなお減っていくと思われる。というのは、いくつかの異なった研究機関でキャリアを重ねていくほうが実力もつくし客観的な評価も得られる、とするのが学問世界一般にみられる近年の考え方だからである。
 けれども、40年も一つの組織にとどまり続けたことによって身に付くカラーというものが(良くも悪しくも)あるということもまた真実であろう。
 したがって、「最後に伝えたいもの」の中には、所属する組織体とは無縁の学問的成果もあれば、その身に付いたカラーをまとっての人生のメッセージもあるのである。
 私は、本書『新世紀民法学の構築』のはしがきの冒頭に、以下のように書いた。

 

読者へ
 どうか、「法律は難しい、面白くない」という先入観を捨てて、本書をお読みください。これは、法律学の講義録ではありますが、一人の民法学者の足跡の記録であり、メッセージ集です。貴方がどこか一行でも、この本を読んでよかった、と思える文章を見出せたとしたら、本当にうれしく思います。

 

 著者としてこのはしがきの文章を別の角度から表現するなら、こういうことになる。去る者が伝えたいと思うその「思い入れ」は、おそらく常に過剰なのであり、冷静な読者の汲み取るものがその中のわずか一か所でも合致していれば、著者としてはもって瞑すべきなのである。読者の心の中に、「感動」とまで言うのはおこがましいが、一つでも、「記憶」の旗を立てることができれば、と私は願ったのである。

 
   
 
   
新世紀民法学の構築  民と民との法を求めて 池田 真朗 著(慶應義塾大学出版会)
 

新世紀民法学の構築―民と民との法を求めて

    
 
    
池田 真朗 著
    
四六判/上製/224頁
初版年月日:2015/04/30
IISBN:978-4-7664-2223-8
本体 2,100円+税
  
詳細を見る
 
 

 

民法債権法学の第一人者池田真朗教授が、法学部生、法科大学院生、市民にと語り分けた「次世代につなぐ民法学」。
慶應義塾最終講義・講演録!

 

 

     
     

 

 

 
 
ページトップへ
Copyright (C)2004-2024 Keio University Press Inc. All rights reserved.