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巻頭随筆

難病の子どもの生活と教育    小林信秋

 

 小児がんや先天性心臓病などのいわゆる小児の難病は七〇〇種類を超え、全国で二〇万人以上の子どもたちが難病とともに地域で暮らしています。難病のこども支援全国ネットワークでは、これらの子どもたちと家族を支援するために、相談活動やキャンプ、ボランティア養成、社会啓発活動などを三〇年にわたって進めてきました。

 子どもたちの日々の暮らしに医療はとても大切な関係性があることは言うまでもありませんが、私たちは長年のこの活動を通じて、教育や遊び、友達も子どもの成長発達に欠かせないと考えるようになりました。

 三〇年の間に医療や福祉の制度は徐々に整えられてきていますが、子どもたちが日々の暮らしを送っている様々な場面では、相変わらず子どもたちが辛い思いをしている報告が後を絶ちません。その代表的な場のひとつが「学校」と私たちは感じています。

 病気や障害があることによって学校の受け入れが不十分になるケース、吸引や注入などの医療的ケアが日々の暮らしに欠かせないために通級を認められないケースなど。子どもたちの社会参加が拒絶されている報告は、長い期間の活動を通じてずっと続いています。

 一方で、障がい者や高齢者施設においては、医療的ケアのある方の受け入れに積極的に取り組んでいます。職員は定められた研修を受講して、吸引や注入などの医療的ケアの実施を認められるようになりました。福祉の現場ではそんな制度改革が急ピッチで進んでいます。

 教育の現場では、何ごとにも子どもたちを第一として考えることが、なぜ行われていないのでしょうか? 全部が全部そうでないことはよく承知しています。学校は子どもたちにとって一日のもっとも良い時間を過ごす場です。一人ひとりの子どもの多様な個性を受け入れて、学校においても社会生活の場においても、どの子も生き生きと、楽しく健康な日々を過ごしていける日が一日も早く実現できることを願っています。

 私の息子は難病で重い障害がありましたが、長く在宅で過ごしました。学校は横浜市にあった小規模養護学校でした。訪問教育を受けていた重症の子どもばかりを受け入れており、生徒二〇人、教員二〇人くらいの本当に小さな養護学校で、普通小学校に併設されていました。

 息子はこの学校へ通うことで大きく発達することができました。教員は県立のこども医療センターで研修を受けており、子どもたちの吸引や注入はもちろん、気管吸引も普通に行っていました。難しい手続きなどはなく、保護者だった私たちはこれが普通の養護学校だと思っていました。教師たちの手技は親たちよりも当然上手で、福祉制度にもよく通じており、いろいろなことを教師から教えてもらいました。子どもたちへ接する態度も素晴らしいものでした。そんなケースもあることを申し添えたいと思います。



 
執筆者紹介
小林信秋(こばやし・のぶあき)

NPO難病のこども支援全国ネットワーク顧問。会社員をしていた1980年に、長男が亜急性硬化性全脳炎(SSPE)を発症、1年3カ月の入院後、在宅療育に(88年に亡くなった)。84年同病の家族たちとともにSSPE青空の会を設立。88年から難病の子どもの支援活動に携わり、電話相談、親の会活動支援、サマーキャンプなどを始める。98年に難病のこども支援全国ネットワークを設立、会長を経て現職。著書に『わかちあい、育てあう親の会』(大月書店、2005年)など。

 
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