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立ち読み
巻頭随筆

大人になったADHD、大人になってからのADHD     田中康雄

 

 僕は、子どもの精神科医として長く仕事をさせていただいたおかげで、子ども時代からADHDと診断し、家族と一緒に生活の有り様を模索検討し続けた方が、それぞれ立派な成人へと成長していった姿を目にすることができています。いわゆる、大人になったADHDです。

 紆余曲折の末に大学を卒業し、就職していった方。何度となく人生の節目で躓き、今も家族に支えられながら生活している方。中学から高校にかけて治療関係が一旦中断しながらも、成人後に家族を通して元気に生活されていると知ることができた方。皆が、それぞれの人生で、頼れる人、信じられる人を得ることができていることに僕は感嘆し、家族の息長い応援に支えられている姿に、ただただ頭が下がる思いでいます。

 ADHDがみせる不注意、多動性、衝動性は、就学前であれば、家族、特に母親を途方に暮れさせます。同時に自責の念を抱かせます。就学後は、周囲からの評価に傷つき、担当教師の言葉に一喜一憂します。その一方で、わが子の屈託なく、悩みを見せない表情の裏に、低い自己評価が隠れていることになかなか気がつくことができず、叱咤激励をし続けてしまいます。

 思春期の頃にみせる投げやりな態度ややる気のなさに、親や周囲はやきもきしますが、どうして本気を出さないのだろうといぶかしくも思います。そんな経過に、できるだけの心の通訳者として伴走したいと願う僕も、ただ依怙贔屓しているだけと周囲には映っていたかもしれません。

 子どもの頃から診ていると、ADHDという意識は薄れ、その子、その人としてしか理解できない僕がいます。時間管理も、忘れ物も、時々明らかに聞いていないと見える姿にも、「いつものキミ」がここにいるとしか思えないのに、あるときドキッとするような変化を見せます。突如メモを取り始めたり、約束を確認してから診察室を出ようとしたり、真剣な表情で将来の夢を現実路線で語り始めます。日々衰えていくだけの僕は、かれらから成長変化するという事実を教授され、希望を手に入れることができます。

 大人の精神科医としての仕事も再開した僕は、大人になってはじめてADHDと診断される方と出会います。こちらは大人になってからのADHDです。

 正確に診断するには、幼少時期の情報を入手して、子ども時代からADHD症状が継続していたかが大きな鍵になります。確かに、いつの時期でも診察室に登場してもよかったと思われる方もいれば、これまで大きく事例化することなく、思春期前後までほぼ安定した生活を送ってきた方もおられます。

 なぜ、今、このときに受診を………。

 思春期以降にそれまで許容範囲であった、不注意ミスや落ち着きのなさや、待つことの苦手さが、臨床レベルにまで悪化したとしか思えない場合。思春期以前から臨床レベルだった方が、たまたま多くの理解者によってある程度症状が覆い隠されていたのが、その覆いがなくなったことで本来の症状レベルがあからさまになった場合。それとも、実は思春期前後まではほとんど認められない、あるいは無いに等しいレベルであった諸症状が、社会的自立を迎えたことで、あるいはある状況に瀕したことで、新たに出現し顕在化したとしか思えない場合など。僕は、大人になってからのADHDと診断される可能性のある方々たちと向き合うなかで、ひょっとしてADHDと呼ばれるなかには、複数の発症経路があるのではないかと仮定しはじめています。発達障害全体の体系さえも見つめ直せるのではないかという夢を僕は手にしています。



 
執筆者紹介
田中康雄(たなか・やすお)

こころとそだちのクリニック むすびめ院長。北海道大学名誉教授。児童精神科医、臨床心理士。北海道立緑ヶ丘病院医長、国立精神・神経センター精神保健研究所研究室長、北海道大学大学院教授などを経て現職。近著に『「大人の発達障害」をうまく生きる、うまく活かす』(共著、小学館新書、2014年)、『生活障害として診る発達障害臨床』(中山書店、2016年)、『支援から共生への道U』(慶應義塾大学出版会、2016年)ほか翻訳書など多数。

 
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