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巻頭随筆

子どもの「問う力」に学ぶ     丸野俊一

 

 私たちは、「いかに、問いを立てるかで、もの・世界の成り立ちの理解や見え方が異なる」ことを知っている。“問い”は、諸現象の背景にある因果関係やメカニズムを解き明かすカギを握る。では、その「問う力」の起源はどこにあるのか。私は、子どもが、日々世界を探索する遊び・学びの中に、その起源があると考えている。

 子どもに接していると、まるで不思議な国を旅しているかのように、感動と驚嘆を味わう、機関銃のような質問攻めにあう。

 「虹の両端はどうなっているの?」「太陽はどうして赤いの?」「月は私の後をどうしてついてくるの?」「死んだらどうなるの?」。

 一つひとつの質問が、極めて重要な科学的な問いであり、意味を探ろうとしており、私たちには難しく、手にあまることも多い。それだけではない。

 雨を見て「空が泣いている」や、「波がジャンプしている」といった、豊かな想像力に裏づけられた隠喩をも使う。

 子どもにとっては、すべてが、探検すべきワンダーランドであるようだ。なぜ、子どもは、そのような問いを、いとも簡単に生み出すのであろうか。

 一つには、子どもは、世界に関わるとき、判断や期待をせずに、五感を全開にして、あるがままに、素直に、純粋に、動きや変化を感じ取っている。意識がむき出しになっていると言ってよい。「感じ先行」による世界との関わりだ。

 二つには、子どもは、“ダンゴ虫になる”“砂団子になる”というように、“モノになりきる”自己の投入の仕方をする。この自己投入による周囲とのシンクロナイズ(「響き合い」)により、細かな変化や差異をも見逃さない「差異敏感性」が、豊かな発想を生み出す。

 三つには、子どもは、知的好奇心が旺盛で、一定の枠組みや先入観を持たず、澄んだ透明な心で、“いま、ここの世界”を真剣に生きる。すると、何もかもが珍しく、新鮮で、面白い。ありふれたものなどは存在しない。創造的な人は、誰もがつまらないと考えることにも目を向けるが、子どもも同じで、すべてが好奇心の対象となる。

 このように考えると、新たな問いは、頭の中に閉じた静的思考からではなく、“心の赴くままに全身全霊を打ち込み、他者や状況との関わりの中での瞬時瞬時の変化を生きる・楽しむ・味わう・遊ぶ中に立ち現われてくるセレンディピティ”(偶然に出会う諸現象の中に、何か神秘的なもの、意外なもの、意味・価値がありそうなものを直感的に発見する閃きや感性)から、紡ぎ出されるということになる。そこは、本来の機能を無視し、決められた筋道ではなく、好き勝手な方向に創造性や感性を巡らす動的世界である。世界に関わるときに、過去の経験や知識に頼りすぎると、「既に知っている、見た、聞いた」の安住の世界になり、“いま、ここ”の現実世界が持つ独自性と新鮮味に対する感受性は鈍り、新たな問いも生まれ難い。

 「問う力」を磨くには、時には既成の枠組みを離れ、五感を全開し、センス・オブ・ワンダーの世界を楽しむ体験を忘れてはなるまい。


 
執筆者紹介
丸野俊一(まるの・しゅんいち)

九州大学理事・副学長・基幹教育院長。九州大学大学院人間環境学研究院特任教授。教育学博士。専門は認知発達心理学。九州大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。著書に『子どもが「こころ」に気づくとき』(ミネルヴァ書房、1998年)、『認知発達を探る』(監訳、北大路書房、2008年)、『〈内なる目〉としてのメタ認知』(至文堂、2008年)、『感性・こころ』(共著、亜紀書房、2008年)、『「日常型心の傷」に悩む人々(現代のエスプリ)』(共編、ぎょうせい、2010年)など。

 
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