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巻頭随筆

いじめ問題の基礎知識     今津孝次郎

 

 1980年代から学校でのいじめが深刻な社会問題となった。それから30年以上が経過するなか、多くの悲痛な経験を通じて学校教育関係者はいじめのとらえ方や対処法について学んだはずだった。ところが、学んだはずのことが確実には根づいていないのではと疑わせたのが、大津市の中学校でのいじめをめぐって、2012年夏に警察が学校や教育委員会を捜索するという異例の事態になったことである。

 いじめ問題の解決に明確な前進が見られないのはなぜか。考えられる大きな原因は、いじめ問題に向き合う際に、その実態や仕組みを冷静に客観的に認識するよりも前に、「いじめをなくす」「いじめの根絶」といった価値判断を伴う目標が先行しがちなことである。そうした発想法では「子どもの喧嘩で、いじめではない」といったすり替えや、「本校にいじめは無い」といった隠蔽が生じやすくなる。そこで、紋切り型のスローガンを声高に叫んだり、問い方しだいでどのような回答にもなるような生徒対象のアンケートを実施する前に必要なことは、いじめ問題に関するこれまでの様々な認識を「基礎知識」として再確認することである。ごく初歩的な基礎知識を挙げよう。

 まず、学校でのいじめは小学校高学年から増加し、中学生でピークになって、高校生になると減少する傾向がある。この傾向に注目すれば、それは青年前期(思春期)の発達的特徴と関わることに気づく。つまり、この発達段階では自己意識が芽生えながらも、自分の能力の程度や友人関係のなかでの自分の位置づけなどが不明確なだけに不安を伴いがちで、勢力を誇示しがちであり、しかも他者への配慮をはじめ対人関係や社会生活上のルールがまだ備わっていない。そうした不安定な状態から、いじめという攻撃的行動が現われがちとなる。

 次に、いじめは伝統的に学校外の地域仲間集団で日常的に見られた現象である。地域仲間の異年齢タテ型集団は出入り自由で、仲間を統率し保護もするガキ大将のような存在があったので、いじめが生じてもそのうち消失することが多かった。それに対して、学校の同年齢ヨコ型集団は固定化されて自由に出入りできず、采配を振るう年長の強力なリーダーもいないので、学校でのいじめは周囲からストップをかけないとエスカレートする危険性が大きい。世界的にもいじめが社会問題になるのは、学校でのいじめである。現代は地域仲間集団が弱体化しているので、いじめという力関係が存在することを知って対応の仕方を体得する身近な機会が減っているだけに、学校での地道な取り組みが要請される。

 最近になって「いじめはどの学校でも生じる」と言われるようになったが、それは現象面というよりも、「青年前期にはいじめがつきまとう」という発達的特徴として認識するのが適切である。したがって、「いじめの根絶」といった感情的に意気込みを強調するような標語ではなく、次々と生起するいじめを早期に発見して早期に解決する「いじめの克服」という基本的な構え方と、種々の基礎知識を踏まえた冷静な認識、そして着実な実践こそが学校教育関係者には重要である。そうした日常的ないじめの克服を通じて、子どもの社会性を培って自立への成長を促すことこそが、「いじめをなくす」という目前の目標よりもさらに上位の目標とすべき重要な教育課題なのである。

 
執筆者紹介
今津孝次郎(いまづ・こうじろう)

名古屋大学名誉教授。京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)。専門は教育社会学。三重大学助教授、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授、名古屋大学教育学部附属中・高等学校長を歴任。著書に『増補 いじめ問題の発生・展開と今後の課題』(黎明書房、2007年)、『人生時間割の社会学』(世界思想社、2008年)、『学校臨床社会学』(新曜社、2012年)、『教師が育つ条件』(岩波新書、2012年)など。

 
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