1 2
Browse
立ち読み
巻頭随筆

「よい子」のこころ     佐々木正美

 

 子どもは「依存」と「反抗」を反復しながら、社会的な自立へと人格を形成していく。すなわち、幼いときに「甘え」と「わがまま」を繰り返すことで、人間的な発達と成熟の過程を歩んでいく。

 アメリカの乳幼児精神医学者ブルース・ペリーは、自らの実証的研究を経て、子どもは乳児期に泣いて訴えることに何千回も応えてもらうことによって、「将来、人間との関わりに喜びを感じるための健全な能力を得る」ものだということを説いている。

 19世紀から20世紀にかけて活躍した、フランスの心理学者アンリ・ワロンは、人間的なコミュニケーションの感情が、幼少期に自分に喜びを与えてくれることに「喜び」を感じることができる人に養育されることで育つものであることを熱心に訴えている。すなわち喜びを分かち合うことが、やがて他者と悲しみも共有し合う心を育てることになり、そこに人間的なコミュニケーションの原点があるというのである。

 本号で特集される「よい子」は、乳幼児期にこのような発達や成長の過程を十分に歩めなかった子どもである。子どもに喜びを与える感情よりも、養育者自身の喜びのほうを優先させるような子育てをしてしまった結果によることが多い。子どもは、依存や反抗よりも、また養育者と喜びを共有し合うよりも、相手に喜びを与えることのほうに、一方的に心を奪われざるを得ない状態で育てられてきたのである。

 アメリカの国際的なジャーナリストとして、わが国に長く滞在し、『ひきこもりの国』という著書を残して帰国したマイケル・ジーレンジガーは、ひきこもりの若者とその周辺の問題の取材の過程で、わが国の親子間には愛着の形成が不十分で、子どもは幼少期から本音でものが言えないでいることを指摘している。すなわち、よい子とひきこもりの関係に迫ろうとしているのである。

 よい子とは、保護者をはじめ周囲の人を、心から十分に信じることができずに苦悩している子どもである。絶えず相手から良い評価を与えられることでしか、対人関係に安心することができずにいる子どもである。

 子どもに限らず人間は本来、人を信じることによって、はじめて自分を信じることができる存在である。よい子は、人を信じる力を十分には育てられてこなくて、心の底では絶えずオドオドしている。周囲の評価を過剰に気にしながら生きている。だから「よい子」でいても、心から打ち解け合える真の親友がいない。

 私たちの社会には今、「よい子」が多い。自己愛的な大人が多くなって、無条件に十分に愛される経験を子どもに十分にさせてやれなくなっている。子どもたちが成長の過程で、健全な社会的人間関係を営みにくくなって、非社会的ないし反社会的な状態に陥ってしまいがちになっている。ひきこもりや非行を予防するためにも、私たちは子どもを、もっと無条件に愛する力を蓄えなければならない。そして、子どもたちが幼少期からもっと安心して自分の気持ちを表現できるように、育ててやらなければならないと思う。

 
執筆者紹介
佐々木正美(ささき・まさみ)

川崎医療福祉大学特任教授。専門は児童青年精神医学。新潟大学医学部卒業。東京大学医学部精神科、ブリティッシュ・コロンビア大学医学部児童精神科、小児療育相談センター長等を経て現職。著書に『子どもへのまなざし』(福音館書店、1998年)、『自閉症児のためのTEACCHハンドブック』(学習研究社、2008年)ほか多数。

 
ページトップへ
Copyright © 2004-2012 Keio University Press Inc. All rights reserved.