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巻頭随筆
「体力」から「身体能力」への衣替えを  小林寛道        
 
 

 文部科学省の体力運動能力調査報告書によれば、1985年付近をピークとし、以後20年間以上にわたって子どもたちの体力運動能力の低下傾向が続いている。近年では、ようやく下げ止まりの兆候も見えているが、はっきりした傾向は明らかでない。文部科学省は、1980年代のピーク時の水準までの回復を目標にしているが、よほどのことがない限り、その水準に戻ることは難しい。あの時代は、経済の高度成長期にあり、国民がそろって体力つくりに励み、学校体育の最大の目標は体力つくりにあった。勤勉に働くことが豊かさを生み、豊かな生活を求めて邁進した時代でもある。労働時間は長く、休みなく働くための体力がどうしても必要であった。しかし、そうした労働への価値観は低下した。子どもたちの体力運動能力の低下は、時代の流れにともなう環境変化や社会的価値観の変化の反映である。

 子どもたちを健全に育てるためには、そろそろ1960年代からのイメージを引きずる「体力」という語の衣替えをする時期に来ているような気がする。

 「体力」にかわって現代にマッチングする語を選択するとすれば、運動と関連した「身体能力」という語が良いように思われる。「身体」という現実の存在が持つ「能力」を指すほうが、むしろ文化的イメージを構築しやすく、新しい価値観が形成されやすいのではないか。子どもたちに運動を勧める場合にも、「身体能力」が高まると表現するほうが分かりやすい。

 かつて東京大学で、1、2年生を対象として「100mを速く走るゼミ」を開講したところ、20名の定員に対し160人の受講希望があった。毎年開設したゼミの経験からすると、子どもたちは間違いなく「足が速くなりたい」という潜在的希望を持っている。ほかにも具体的な運動内容で「身体能力」を高めたいと考えている子どもは多くいるはずである。学校の体育教科では、こうした子どもたちの運動欲求を満たす教育内容になっていない現実がある。子どもたちの身体や身体能力に対する感覚は敏感である。

 身体に関連した表現として、「キレイ」「格好いい」というイメージが流行である。また、運動場面では「強い」「うまい」「すごい」というイメージが優先する。これらのイメージは、テレビで放映される芸能タレントやスポーツ選手の姿にもオーバーラップしている。あのように踊れたり、プレーできたりするのはあこがれである。これらは身体能力に含まれる内容である。「身体能力」をキーワードにした「運動のすすめ」を教育の中で展開すれば、現状は大きく変わってくるかもしれない。

 子どもたちの体力や運動能力を高める試みは、さまざまな形で展開されつつある。スポーツが得意な子どもたちは、クラブ活動などで活動しているが、極端に身体活動量が少ない子どもの場合には、わずかな働きかけで体力や運動能力の改善が見られることが珍しくない。本来、教育の中で求められるものは、子どもたちが自分自身やほかの人の身体を大切にする「身体意識」の滋養であり、「身体能力」を健全に発達させることである。また、活動的な生活行動が健康と結びついているという健康意識の高揚を図ることが大切である。運動が心地よいと感じることや、思い切って挑戦するといった精神的活動は、脳の活動と密接な関係があることが注目されてきている。身体を動かし、運動することによって脳を含めた全身が活動の喜びを味わうことを体験させたい。

 

 
執筆者紹介
小林寛道(こばやし・かんどう)

日本大学国際関係学部特任教授。東京大学名誉教授。教育学博士。専門はスポーツ科学。日本陸上競技連盟医科学委員会委員長などを務め、日本の陸上スポーツの科学的進展に力を尽くす。著書に『ランニングパフォーマンスを高めるスポーツ動作の創造』(杏林書院、2001年)、『運動神経の科学』(講談社現代新書、2004年)、『若返りウォーキング』(宝島社新書、2007年)など多数。

 
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