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巻頭随筆
フィランスロピーとしての科学を  村上陽一郎         
 
 

 漱石の『三四郎』に、寺田寅彦がモデルとなったと言われる野々宮宗八という物理学者が活躍する。彼は理科大学(現在の東京大学理学部)の穴倉のような研究室にこもって、夏の暑さ、冬の寒さにもめげず、ひたすら装置を動かして、光の圧力を検出する実験に精を出している。熊本から東京大学に進学した小川三四郎が、故郷の先輩である野々宮の研究室を初めて訪ねるシーンが、小説の最初のほうに現れる。その方面にはまるで素養のない三四郎が、実験装置を少しばかり覗いた後、ほとんど茫然と外に出て、池の端の夕景に見入っているとき、里見美禰子との運命的な出会いになるのだが、その直前、三四郎の口を借りて、漱石は、野々宮の仕事を、こう評している。

 「望遠鏡のなかの度盛がいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明かである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかも知れない」。

 科学研究が、あるいは科学研究者が、19世紀に出現したとき、それを支える動機は何だったか。17世紀までのヨーロッパなら、自然の神秘を解き明かそうとする動機は、神の創造の行為を追体験する、ということにほかならなかった。ガリレオ然り、デカルト然り、ニュートンまた然り。19世紀以降の科学者のなかにも、個人的には同様の動機に動かされていた人々もいたかもしれない。しかし、19世紀に科学研究が一つの「職種」として社会のなかに位置を占め始めた後では、そうした職業的な営為へと駆り立てる一般的動機は、もはや神への信仰の直接的な表現ではなく、個人の好奇心の満足でしかあり得なかったのである。面白いから研究に身を挺する。それだけのことである。

 その意味では、それが社会のなかで一つの職種として成り立つ、ということ自体が、多少異例のことかもしれない。つまり、漱石が喝破しているように、光に圧力があろうがなかろうが、あるいは、あったとして、それがどの程度の大きさであろうが、政治や経済、産業などが動かしている現実世界には、毛筋ほども関わりがない。現実の社会は、それから何の利得も受け取るわけではない。だから、それが職業として許される、というのは、ちょうど19世紀から「芸術家」という「職種」が社会のなかで容認され始めるのと同じで、かかって「フィランスロピー」の原理からなのである。

 フィランスロピーとは、今では企業の社会貢献活動の代名詞でしかないが、本来は「フィル+アントロポス」つまり「人間を愛する」ことである。人間のなかには、誰に依頼されたのでもなく、誰に認められるでもなく、絵を、小説を、あるいは音楽を自ら創造することに、ひたすら喜びを感じる人がいる。他方で、誰に依頼されたのでもなく、誰に認められるでもないのに、自ら光の圧力を検出することに、至上の喜びを見出す人もいる。人間の持つそうした様々な特性の一つひとつを大切にしよう。それがフィランスロピーなのだ。

 無論こうした科学は、第2次世界大戦以後急速に変質する。今では多くの研究者が、社会に役に立つために研究に従事する。時には大量殺戮兵器製造にも力を貸す。今の日本社会は、そうした科学の推奨へと舵を切り過ぎてきている。しかし、科学の本質は、やはり個人的な喜び抜きに語ることはできないはずだ。少しでも多くの若い世代の人々にも、その喜びを頒ち合いたい、それは絵画や音楽の喜びを感じてほしい、ということと実は全く同じことなのだ。

 社会の利益を離れた人間的な営み、それをこそ、もう一度私たちの間に取り戻そうではないか。

 

 
執筆者紹介
村上陽一郎(むらかみ・よういちろう)

東京理科大学教授。東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。専攻は科学・技術の歴史、科学技術論。著書に『科学者とは何か』(新潮選書、1994年)、『安全学』(青土社、1998年)、『安全と安心の科学』(集英社新書、2005年)、『科学・技術の200年をたどりなおす』(NTT出版、2008年)、『あらためて教養とは』(新潮文庫、2009年)ほか多数。

 
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