Browse
立ち読み
巻頭随筆
学校の主役は子ども  尾木直樹           
 
 

 「すごいですねぇー! いやぁ、ホントにびっくり。皆さんの誇らしげな表情を眺めていると、感動のあまり涙がこぼれてきそうです」
 私は壇台に立つや否や、体育館に座る中学生にこう話しかけていた。すると、どの子も、ホント、この先生いきなり何なの? と怪訝な顔つき。でも、どの子も、そんなの当たり前だよとでも言いたげな様子で、その表情は輝いていた。
 子どもが活き活きとした学校について語るとき、今でも、そのときの一人ひとりのキラキラした瞳とともに鎌倉市立K中学校を思い出す。
 校長室で開演時間を待ちながら、いろんな話を聞かせてもらっていると、「先生、そろそろ体育館へ行きますか」と教務主任。この学校、ノーチャイムなのだ。「これで規律が守れますか」と尋ねる私に、「いやー、生徒たちって不思議なもんですね。かえって時間厳守するんですよ」と目を細めるのだった。
 渡り廊下を通って体育館へ。足を踏み入れたとたん、私は一瞬戸惑った。みんな思い思いの服装をし、風邪を引かないようにとコート類を着込んで、床に座布団を敷いて思い思いに座っているではないか。列の前へ案内されてまたびっくり。座り方は男女混合で、背の順ではない。てんでんバラバラなのだ。ところが、そのバラバラの中に漂う統一感がなんともいえない。「先生の話を聞くぞ」という“意欲の統一感”にあふれていたのである。
 それにしても、私がなぜこんなに「感動」しているのか不思議に思われるかもしれない。実はこれには理由があるのだ。というのは、この1週間ほど前に九州地方のある公立中学校の記念式典に招かれて、700名近い生徒に講演を行ったのだ。その中学校は、もちろん制服姿で男女別、背の順に整然と並んでいたのだが、その“整然”ぶりが突出していたのだ。女子はスカート姿で体育館の冷たい床に「正座」。上履きは各自、体側から20センチくらいの位置に靴底をぴたっと合わせて置いている。
 「70分も正座というのは無茶です。イスが無理なら、せめて体育座りにでもしてやっていただけませんか」。事前にこの正座指導を知った私は、校長室で関係者に頼んでみた。ところが返ってきた答えは、「先生、大丈夫。このあいだ県の教育長の話、子どもらは60分間微動だにせず聞いておりましたから」と自慢気に言うのであった。驚いたことに、私の70分間の講演中、本当に生徒たちは能面のように無表情のまま、微動だにしなかったのである。全校生徒による記念合唱になって、もう一度びっくり。「大地讃頌」が蚊の鳴くような声。1クラス分ほどのボリュームに、私は聞いているのが辛くなった。
 そんな“苦し気な中学生”を見た直後に、それとは正反対に活き活きと動く子どもたちに接したために、私の感動は倍加したのだろう。
 “活き活きとした学校”とは、子どもたちが自律して生活し、一つの目的や理念の実現に向けて“自立した個が連帯”する学校―つまり、教師の一方的な「教え」や「指示」から子どもたちの主体的な「学び」や「活動」へと、生活も授業も転換している学校なのだ。換言すれば、子どもが学校の主人公として息づいているということである。
 K中学校では、校則を決めるのも、子どもたち。「学校の主役は子ども」。こんな理想が具現化されたとき、どの学校も活き活きとよみがえる。そう確信させてくれる出会いであった。

 
執筆者紹介
尾木直樹(おぎ・なおき)

教育評論家。法政大学キャリアデザイン学部教授、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授。臨床教育研究所「虹」所長。専門は臨床教育学。早稲田大学卒業後、高校・中学の教師を経て現職。主著に『教師格差』(角川新書、2007年)、『思春期の危機をどう見るか』(岩波新書、2006年)、『子どもの危機をどう見るか』(岩波新書、2000年)、『「ケータイ・ネット時代」の子育て論』(新日本出版社、2008年)など。

 
ページトップへ
Copyright © 2004-2007 Keio University Press Inc. All rights reserved.