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立ち読み  
巻頭随筆  第55巻7号 2007年7月
ゆったりと子育てを楽しむ         柳澤正義
 
 「母親を楽しむ」ということは、「青春を楽しむ」、「余生を楽しむ」などと同様に、ライフステージのいっとき、子育ての時期を明るく、楽しく、前向きに過ごすことと考えたい。
 本来、「子育ては楽しいこと」のはずである。さもなければ、人類はとっくの昔に絶滅していたのではなかろうか。しかし、特集テーマとして「母親を楽しむ」が取り上げられたこと自体、子育てを楽しんでいないお母さんが少なからずいる、ということである。実際、都市化、核家族化の進むなか、母と子が孤立した状況に置かれ、母親の育児不安感、育児負担感は強くなる一方である。その挙句、不適切な養育 maltreatment(身体的虐待やネグレクト)に至る事例が激増している。
 ここで、筆者が間接的に知っている子育て真っ只中のある女性の状況を書いてみたい。彼女は、夫と1歳10カ月の女児とともに東京下町のアパートに住んでおり、半年後には次の赤ちゃんが生まれる予定である。傍からみて彼女は目いっぱい母親を楽しんでおり、本人もそのように自覚している。実家の祖父母にはしばしば助けてもらい、時には夫の母親の応援も得られる。妊娠中の母親学級で知り合い、同じ頃に出産した母親たちと月に1、2回会って話をしている。彼女の話では、いつも母と子の二人だけで過ごしていると親子ともにストレスになるようで、時には一人で外出したい。そのような時に子どもを預かってくれる身内がいて助かる、また、同じような状況の友達と話をするのもストレス発散になる、とのことである。夫とは、出産前に子どもが生まれてからの家事・育児の分担について話し合っていたが、夫は仕事が忙しく、必ずしもそうなっていない。しかし、できるだけ子どもと遊ぶようにしてくれている。最初のうちは、育児書や育児雑誌を読みあさっていたが、情報が入りすぎてかえって混乱し、また、自分の子どもに当てはまらないことがあることも分かって、次第に読まなくなった。だんだんと育児にはゆとりが必要ということも分かってきた。話を聞くかぎりでは、実にすばらしい子育て状況ではないかと思われる。
 「母親を楽しめる社会」というのは、どのお母さんにもこの女性におけると同等の支援がなされるような社会であろう。家族や親戚からのサポートが乏しくても、地域や自治体からの十分な支援が得られる。親子を取り巻く周囲からの眼差し、見守りが重要である。
 また、「母親を楽しむ」うえで、父親の役割が大きいことはいうまでもない。子育ては、本来、母親と父親、両者が協働で行うものであるが、母親と同等の時間を割くことができる父親は非常に少ないことも現実である。それを補う精神的サポートを母親が評価し、納得してくれるところまでの努力は必要であろう(余談であるが、筆者自身三十数年前、自分としてはかなりよくやったつもりでいたが、妻の評価は必ずしもそうでなかったことを最近聞いて驚いた)。その意味で、「父親を楽しむ」ことも望ましい親子の姿である。
 なお、「楽しみ・楽しむ」というのは、主観的感情・行動であり、本人のもともとの気質や成育歴も大いに関連する。最近の若い人には完全主義の人が多く、それができないと簡単に挫折するということが聞かれる。100点満点の子育てなどあり得ないということを理解し、ゆったりと余裕をもって子育てするということも重要であろう。周囲の人は育児について細々と指示するのではなく、ゆったりと子育てを楽しめるよう環境を整え、支援するようにしたいものである。
 
執筆者紹介
柳澤正義(やなぎさわ・まさよし)

日本子ども家庭総合研究所長。国立成育医療センター名誉総長。医学博士、小児科医師。専門は、小児科学、小児循環器学、小児保健学。東京大学医学部卒業。東京大学医学部小児科教授、国立成育医療センター病院長、同総長を経て現職。主著に『こどもの病気の地図帳』(共同監修、講談社、2002年)、『日本子ども資料年鑑』(監修、KTC中央出版、2007年)など。

 
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