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巻頭随筆  第55巻6号 2007年6月
これからの記憶研究          太田信夫
 
 「記憶」とひと口でいっても、いろいろな記憶がある。知識の記憶もあれば、運動や動作の記憶もある。匂いや味の記憶もあれば、音楽や人の声の記憶もある。すなわち、五官を通して入ってくるさまざまな刺激の記憶や、頭の中でのさまざまな表象の記憶があり、ひと口ではいえない種々の記憶がある。
 このような記憶の研究は、自然科学的な方法である実験により検討されることが多い。これに対して、より人間くさい人文科学的問題にも関係する記憶として、自伝的記憶がある。また記憶には、過去のことばかりでなく、展望記憶といわれる未来における自己の行為の記憶もある。
 記憶には、上記のような意識できる記憶だけでなく、憶える気がなくても自然に憶えたり、無意識的に過去の経験を使うような記憶もある。私たちが立って歩いたり、日本語を話せるのも、それを可能にする記憶があるからである。「狼に育てられた子」のように、ある時期に歩くことを学習しなかった子は、大きくなっても歩けないのである。服を着たり、歯を磨いたり、あるいは自分の名前や家族の顔などの認知も、思い出すという意識なしにできる記憶である。このような記憶の存在は、重篤な認知症や記憶障害の患者さんを考えれば、容易に理解できる。
 以上のような種々の性質の異なる記憶は、別々に機能しているのではなく、相互に関係しながら人間の認知活動の一部として、私たちの意識や行動を支えているのである。たとえば、ある人が会社からの帰途、駅のプラットホームで電車を待っているとする。彼は、今日の会社での嫌な出来事を思い出し、それを忘れるため、今晩は家で晩酌を楽しもうと思っているかもしれない。入ってきた電車を見て、これは自分の乗る電車でないと判断した時、降りてくる人の流れの中からタバコの煙のにおいを嗅ぎ、子どもの頃の父親を思い出しているかもしれない。このような彼の中では、エピソード記憶、展望記憶、意味記憶、自伝的記憶、潜在記憶など、さまざまな記憶がほぼ同時に平行して働いている。そして相互作用しながら、また新しい記憶過程が展開されていくのである。このような記憶過程を一部として、感覚・知覚・思考・言語・動機づけ・感情などさまざまな要因が関係しながら、全体的に心理過程が機能しているのである。
 こうして考えてくると、記憶の研究は単に記憶だけ、それも一部の記憶だけを研究していては、全体の人間の研究にはなかなか繋がらなく、記憶以外の認知的活動や行動など、もっと広い視野から総合的に研究する必要がある。
 記憶は、一般的にいって、過去のことを思い出すという観点で見られがちであるが、私たちの日々の活動を考えてみると、多くの場合、記憶は将来の自分に繋がっている。意識的な記憶にしろ、無意識的な記憶にしろ、現在の何かが契機となり、検索・想起があり、その記憶はその人間の未来の行動や意識を方向づけていると考えられる。たとえば、自伝的記憶は、人生の岐路に立った時、大きな役割を果たす。自己の過去経験や自己に関する知識など、自己をどのように考えるかが、将来の自分を形成していく大きな規定因となる。
 「これからの記憶研究」に望むことは、人間理解のより広い立場から記憶を捉えること、そして記憶を、過去から未来に向けて生きている人間において機能しているものとして捉え、研究することであろう。そうすれば、研究のための研究でなく、社会や人間の福祉に、いっそう貢献できる記憶研究となるであろう。
 
執筆者紹介
太田信夫(おおた・のぶお)

放送大学教授。筑波大学名誉教授。教育学博士。専門は認知心理学、教育心理学。名古屋大学大学院博士課程修了。鳥取大学教授、筑波大学教授などを経て現職。日本認知心理学会理事長。最近の編著書に『記憶の心理学と現代社会』(有斐閣、2006年)、『Memory and Emotion』(Blackwell, 2006)、『Memory and Society』(Psychology Press, 2006)、『Dynamic Cognitive Processes』(Springer, 2005)など。

 
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