こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
第53巻9号 2005年9月
義務教育の分権化   市川昭午
 今日、義務教育の分権化が話題となっているが、この問題に関して次のような点が見落されてはならないと考える。
 第一に、義務教育に誰が責任を負うべきか。義務教育の目的に則して判断さるべきである教育行財政の集権・分権については、それぞれ長短が指摘されており、そのどちらを採るべきか一概にはいえない。現在、分権化政策が進められているのは、それが教育的・財政的に望ましいという判断に基づくのであろうが、教育的・財政的に集権化を是とする見解も成り立ち得るのであって、分権化が自明の理ということはできない。
 第二に、義務教育は国だけの事務、地方だけの事務ではなく、共同の事務である。教育基本法によれば、公教育、したがってまたその中心をなす義務教育の目的は国家・社会の形成者の育成と国民一人ひとりの人格の完成である。この“国家・社会”には地方団体や地域社会も含むと解することもできるが、義務教育の目的は地域住民を育てることだけではない。国や国民社会もまたそれに劣らず義務教育の重要なステークホルダーである。地方財政法にも「国と地方公共団体相互の利害に関係がある事務」と規定されている通り、義務教育は国の事業か地方の事業かではなく、国と地方の共同事業である。
 第三に、義務教育費の地域間格差が絶対にあってはならないというのではなく、これ以上格差が拡大してよいのかが問題である。国と地方が費用負担する制度設計になっている以上、地域間格差が生じるのは避けられない。現に、都道府県間で単位費用に1.5倍程度の格差が存在する。しかも公務員給与制度の改訂によって、今後格差はさらに拡大する。地域間には物価や賃金の格差があるから、これをもって直ちに不合理と断ずることは難しいにしても、戦前のように府県平均で4倍近い格差があってよいと思う者は少ないであろう。
 第四に、地方団体に教育費水準を維持する意思があるかないかではなく、維持できるか否かが問題である。分権化されても教育費を削減するつもりはないと地方関係者は主張するが、三位一体改革の狙いが国の財政負担の軽減であり、補助負担金の廃止だけでなく、地方交付税の削減をも含んでいる以上、税源の移譲があっても地方の歳入が減少するのは必至である。他方、肥大した世代の教職員が今後定年で大量に退職するため、学齢児童・生徒数は減少しても義務教育関係費は縮小しない。そのうえ、地方団体には民間企業と違って退職引当金の準備がないため退職金の膨張が地方財政を大きく圧迫する結果、地方関係者にどれほど教育への熱意と意欲があろうとも、義務教育費を削減せざるを得ない事態が到来する。
 第五に、国から都道府県に権限や財源を移譲することに劣らず、都道府県から市町村に、市町村から学校に権限を下ろすことが肝心である。学校教育の自主性を高めるという教育的見地からするならば、国から都道府県に権限が移るだけではそれほど意味がない。教育行政の分権化とか教育の地方自治を主張するのであれば、教育が行われる現場により近いところに権限と財源を下ろすのが本筋である。市町村立小中学校の管理運営は、設置者管理主義の原則からいって、本来都道府県ではなく、市町村の仕事である。教育は地方の自治事務だというが、義務教育については都道府県ではなく、市町村の自治事務である。
執筆者紹介
市川昭午(いちかわ しょうご)
国立大学財務・経営センター名誉教授。国立教育政策研究所名誉所員。東京大学教養学部教養学科卒業。北海道大学助教授、東京教育大学助教授、筑波大学教授、国立教育研究所次長、国立学校財務センター研究部長を歴任。著書に『教育基本法を考える』(教育開発研究所、2003年)など。
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