こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
第53巻5号 2005年5月
心と体の性差   山内俊雄
 最近は、「性差医学」が流行りで、「性差」をテーマとしたジャーナルが出ているほどである。その趣旨は、性差を考慮した医学研究や医療体制が必要である、ということであるが、別の言い方をすれば、同じ疾患でも、男性と女性では病気の発生や病態、時には治療効果にも差がある、その点をきちんと研究すべきであり、それに応じた治療法が求められなくてはならない、ということであろう。
 考えてみれば至極当然のことである。これまでも、日本人と外国人で、疾患の発生率や薬の効き方、副作用に違いのあることが知られていたが、このような人種による差だけでなく、病気の発生率が男女で異なることも周知の事実であった。それが改めて、性差医学という形で取り上げられるようになった背景には、それなりの理由があってのことであろう。ひとつには、これまでの医学のあり方に対する反省があり、いまひとつには、性差に関する研究の進歩が関係しているように思われる。
 これまでの研究は、たとえば、臨床治験にみるように、性差を無視した研究か、男性を主とした研究の結果を女性にも当てはめる形で進められてきたものが多かった。しかし、性ホルモンをはじめとして、男女では身体の機能や構造に多くの違いがあり、当然、薬物療法をはじめとして男女差を考慮した使用法が考えられるべきという、もっともな反省がある。
 もうひとつには、身体的、機能的に男女で異なる点が、病気の発生率といった総体的レベルではなく、ゲノムのレベルで次々と明らかにされてきたことである。その最たるものが、脳の性差である。脳の色々の部位で、それも、情動や性行動に関係する場所で、性的二型核と呼ばれる男女で神経核の構造や大きさが異なる部位があり、そのことが男女の行動や物の感じ方、あるいは生活のパターンそのものまで、決めているということが分かってきている。
 そんな研究の上に立って書かれた『話を聞かない男、地図が読めない女』(2000年)とか、『嘘つき男と泣き虫女』(2003年。いずれもアラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著、主婦の友社)といった本が、世の中に、納得を持って受け入れられたことは記憶に新しい。
 それだけではない。われわれがそれまで、何となく疑いの眼で見てきた同性愛や性同一性障害と呼ばれる現象も、実は脳の性差のあり方と関連しているらしいことが分かってきたのである。たとえば、性同一性障害と呼ばれる、性別に対する自己意識と身体的性別との乖離が、母親の胎内におけるホルモンの曝露や、その結果としての脳の性差の形成の過程における齟齬によって引き起こされることなどが次第に明らかになってきており、このような事実を通して、われわれの性のあり方に対する理解や態度が大きく変わったといっても過言ではない。
 それのみならず、性同一性障害の症状が男性と女性で異なることも最近分かってきた。生物学的に女性である性同一性障害者の症状は均等で、多くの人が中核的症状を示すのに較べ、生物学的に男性である性同一性障害の症状は、個々人によって症状のばらつきが大きく、均一ではないことが分かってきている。このような症状の性差は、性同一性障害の発現機序を考える際に、示唆を与えるものであろう。
 こうみてくると、性差を考えることは、単なる男女の違いにとどまらず、それを越えて、人の存在の仕方そのものに迫ることになるといえよう。
執筆者紹介
山内俊雄(やまうちとしお)
埼玉医科大学学長。医学博士。専門は精神神経学。北海道大学医学部卒業。同大学助教授を経て昭和61年から埼玉医科大学教授、平成16年より現職。現在日本精神神経学会理事長。埼玉医科大学倫理委員会委員長として、「性転換症」の手術療法の倫理性を審議した。著書に『性同一性障害の基礎と臨床(改訂版)』(新興医学出版、2004年)、『性の境界』(岩波書店、2000年)など。
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