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立ち読み  
編集後記  第62巻8号 2014年8月
 

▼今回の第2特集は、海外体験である。その中で筆者が個人的に興味を持って読ませていただいたのが、帰国子女に関する論文であった。
 地方都市の中で高校までを過ごし、学生時代に海外留学することなど考えたことすらなかった筆者にとって、帰国子女は遠い存在であった。その後、帰国子女にアイデンティティの危機や適応の問題等が生じることを知識としては知るようになっていたが、それでもどこかで、「グローバルに活躍できる可能性を持つ、経済的に一定以上の裕福な家庭環境を持つ子女」という、憧れと嫉妬が同居したようなステレオタイプな見方をしていたと思う。

▼その気持ちが粉砕されたのは、本号の嘉納氏の論文の中での「日本で帰国子女について論じられる時、ほとんどの場合『彼・彼女たちを受け入れる日本にとってどのような存在であるのか』に焦点があてられることです」、という一文であった。この一文で、帰国子女は一気に私の身近なものとなった。

▼筆者の職業背景は保健師である。ケアの対象は、元気な人から、様々な疾病や障害を持つ人までと幅広いが、私の領域においても時として特定の集団を語る際に「彼・彼女を受け入れる一般住民や地域にとって、どのような存在であるのかに焦点があてられる」ことが起こる。この場合の彼・彼女には、例えば身体や精神に障害を有する方や、認知症の方、外国人の方などが入ることになる。しかし、この受け入れ側の視点だけでケアを考えると、時として大きな誤りにつながる。
 例えば認知症の方が徘徊するのは、その人なりの理由がある場合が多い。
 夕方になると子どもを迎えに行くことを習慣にしていた人は、夕刻になると子どもが自分の迎えを待っていると思うと、いてもたってもいられない気持ちになり外に出てゆく、などである。
 “徘徊する迷惑な人”ととらえて家から出さないようにする対応は、住民にとっては一見いいことかもしれないが、本人・家族には何の解決にもならないばかりか、症状を悪化させるだけとなる。そして、今は当事者ではない住民も、時間の経過の中で当事者に代わる可能性は高い。

▼帰国子女のことから認知症患者に話を飛躍させてしまった気もしているが、帰国子女に対しても当事者の観点からの研究が始まっているように、看護の領域でも、少し前からそれが盛んに行われている。
 “知ることイコール受け入れること”にはならないが、少なくとも知らないなかでの理解は難しい。そのためには、当事者の語りを聞かねばならない。受け入れる側からの視点だけでしか語られない社会は、マイノリティにとってのみならず、おそらく多くの人にとって生きづらい社会である。

 

(鳩野洋子)
 
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