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編集後記  第60巻09号 2012年9月
 

▼ここ数年、大学の授業で受講学生に対して「君たちはゆとり教育世代ですか?」と尋ねると、多くの学生が頷く。続けて「君たちは自分がゆとり教育世代であることについてどう思う?」と問う。ゆとり教育世代であることに対して、肯定的にとらえている学生は少なく、多くの学生はネガティブにとらえている。「自分たちは日本史上最も勉強しなかった世代」という言い方をする学生もいた。「日本史上」とは誇張が過ぎるものの、多くの学生がゆとり教育世代であることを否定的にとらえているのは、ひとえに上の世代や周囲の大人による評価によってであろう。
 雑誌やネットといったメディアでも、ゆとり教育世代は指示待ちであるとか積極性がないといったことなど社会人として扱いづらい人間として否定的に語られている。こういった批判的な物言いは、昔から上の世代が下の世代に対して行ってきたものである。例えば、私たちの世代は、新人類と呼ばれていた。その前はしらけ世代である。いずれも社会人としては常識に欠けた人間として語られてきた。それらの世代の行く末は、自分や周りをみると千差万別であり、ある世代を一括して呼称するようなことは、あまり生産的なものとはいえないだろう。ただし、以前の世代名称とゆとり教育世代という名称が異なるのは、それが明確にゆとり教育と呼ばれる教育の結果に直接結びついたものとして語られていることである。

▼それではゆとり教育について学生はどう考えているか。多くの学生はゆとり教育世代をネガティブにとらえているが、実はゆとり教育については、一定数賛同する学生がいる。つまり、ゆとり教育そのものについては必ずしも全面的に否定的なものとしてとらえていない。私の研究室で卒論を書いた学生の中で、ゆとり教育とゆとり教育世代をテーマにした学生がいた。彼女自身、自分たちの受けてきた教育がそれほどに悪いものとは考えておらず、自分たちがゆとり教育世代として揶揄され否定的にとらえられる状況について、ある種の憤りをもっていた。卒論では、ゆとり教育世代の学生にインタビューを重ね、その聞き取りを通して、次のように述べた。
 「『ゆとり教育』の中で自らを成長させてきた彼らは、単に『詰め込み』教育に立ち戻ることをよしとしない。『ゆとり教育』の理念を残し、またそれを実現させるためには教育のやり方を変える必要があると言うのだ。教育の議論を教育の世界で終わらせず、子どもに生きた知識を身につけさせるためには、学校はもっと社会と関わっている必要がある」。

▼現在、教育界は「脱ゆとり」路線の中で、学力重視へと振り子が戻り、彼女が指摘した学校と社会のかかわりは中心的な論点とはなっていない。「ゆとり教育世代」と呼ばれる若者たちもこれからいつしか社会を牽引していく主力になっていく。彼ら彼女らはゆとり教育を受けた当事者として、どのような教育を構想し実践していくのであろうか。

 

 

(田上 哲)
 
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