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立ち読み  
編集後記  第60巻07号 2012年7月
 

▼本誌今月号の第一特集は「『よい子』の破綻とそこからの再生」というものです。子どもが「よい子」である、「よい子」になることを願わない親はいないでしょう。親は子どものためと思って「よい子」にするために努力をしがちです。
 しかし、この「よい子」というイメージそのものが子どもの健やかな成長や発達にとって、ある場合には深刻なダメージを与えることは、これまでたびたび指摘されています。

▼私たちがふつうイメージする「よい子」とは、「素直」「明るい」「成績が良い」「反抗しない」「言いつけや決まりを守る」等々、外見上は非のうちどころない子どもです。しかしこういう「よい子」とは、外見上「パーフェクトな」子であり、親などの大人から見て「都合のよい子」に他ならないのです。
 この「よい子」が大きな問題となるのは、「よい子」とされる子どもたちが、本来の自分を抑えて、あるいは無理やり抑えることを強制されて「よい子」であることを演じ続けることから生じる「自己否定感」「無力感」などのネガティブな心的状態に陥る傾向が強いからです。

▼親が常に子どもに「よい子」であることを要求し続け、子どもがそれに応えようとする結果、親や教師などの他者による評価によってしか自分自身を評価できなくなることを、米国では「よい子症候群」(Good Kid Syndrome)と呼んで問題視する学者もいます。さらに、そうした要求が、子ども自身の希望や状態を無視した子どもへの過剰な期待や異常なほどの干渉といった行動になるとき、「やさしい虐待」や「教育虐待」と呼ばれるような虐待になってしまうことが、最近、わが国でも指摘され始めています。

▼例えば、2011年12月14日放送のNHK「クローズアップ現代」は、「やさしい虐待―良い子の異変の陰で」という特集を組んで、「一見、子どもにはプラスに思える教育やしつけを過度に押しつけると、子どもをがんじがらめにし、虐待と同様に心を蝕んでいく」ことを実例をあげて紹介しています。
 また朝日新聞は、2012年2月9日の「教育の名で起きる虐待―親の過干渉や教師の放置に警鐘」と題するコラムで、社会的に地位がある豊かな家庭でも「教育虐待」が多く生じていることを報じています。

▼「やさしい」とか「教育」といった言葉と全く正反対である「虐待」とが結びつくところに、この問題の深刻さがあるように思われます。
 親が子どものためと思ってしていることが、「自分でありたい」という子どもの心を押さえつけるとき、それは子どもの心身に害を及ぼす虐待と同じになってしまうということが指摘されている今、「子どもは権利を持つ一人の人間であって親の所有物ではない」という子どもの権利の尊重を、私たちは改めて強く求められているのです。

 

 

(望田研吾)
 
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