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立ち読み  
編集後記  第57巻4号 2009年4月
 

▼「石の上にも三年」。日本人は、粘り強く努力し、辛抱することを尊んできた。簡単に仕事や勉強を放り出すよりは、粘り強くがんばるほうが望ましいのは言うまでもない。NHKのテレビドラマ「おしん」が広く支持されたのも、粘り強さを尊いと思う人が多いからだろう。

 我々は、「粘り強さ」を個人の性格特性としてとらえる傾向を強く持っている。私なども、辛いからと言って仕事や勉強・部活動を続けていくのをあきらめてしまう人を見ると、「心を入れ替えなきゃいけない」とか「性格を鍛え直さなきゃだめだ」などと、教育や訓練の大切さに思いをはせがちである。

▼しかし、ここで自問してみる。辛抱することの尊さを説かれ、粘り強くがんばるように激励される人たちは、それをどう思うのだろうか。

 「そんなことは言われなくてもわかっているよ」と反論したい気持ちになるのではないだろうか。むしろ、返す刀で「辛くても苦しくても、粘り強くがんばっていれば、必ず良いことがあると、あなたは保証してくれるのか?」と反問したくなるかもしれない。そのとき躊躇なく「任せておけ」と答えることができるだろうか。とたんに形勢不利な感じがしてくる。

▼私が子どもの頃は、「巨人の星」や「アタックナンバーワン」など、スポーツ根性もののアニメが人気を博した時代だった。どんなに辛くても、それに耐え、努力を続けていれば必ず報われるという信念が社会に溢れていたように思う。

 他方、今の日本社会はどうだろう。会社人間と揶揄されても、残業と休日出勤に明け暮れながら、必死にがんばって働いてきた中高年の管理職が、経営の都合で次々にリストラされていった1990年以降の日本社会の現実は、若者や子どもたちに何を教えてきただろうか。思わず背筋が寒くなるほどである。

▼我々が、苦しくても辛くても、あきらめないで粘り強くがんばることができるのは、どんなときだろう。

 人間のやる気に関する心理学の研究は、目標の持ち方が鍵を握っていることを明らかにしてきた。すなわち、自分ががんばれば達成できる現実性と、がんばらなければ達成できないような適度な困難さとを併せ持つ目標を「自分で設定する」ことが重要である。また、その目標を達成して実現する「目指す自分の姿」を明瞭に思い描くことも大事だ。

▼大切な目標の達成に向かっているときは、辛くても苦しくてもがんばることができる。子どもも大人も自分なりの目標(夢)を持って生活していけることは、粘り強さを育む大切な要素だといえるだろう。

 今、どれほどの日本人が目標を持って生きることができているだろうか? 答えは寂しいものかもしれない。とすれば、夢を育む社会づくりに、今こそ粘り強く大人たちが汗するときだろう。子どもたちの無限の夢を耳にして温かく微笑む日が帰ってくるように。

(山口裕幸)
 
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