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編集後記  第56巻11号 2008年11月
 

▼教育の営みは、社会の変化に応じて、次の時代を担う世代を育てていくことです。社会は常に変わっていくものですので、「新しい教育」は常に求められてきました。近年は特に、どの国でも学校や教師に対する政治やビジネスの側からの変革を求める声がますます強まっています。
▼例えば、アメリカのM・スペリングズ教育長官は、近頃の演説の中で「他の分野ははるか遠くまで進んでいるのに、アメリカの多くの学校は産業化社会の中に囚われていて、時代遅れとなった1930年代の工場での文化や仕事のやり方を守っている。こんなことは今日のグローバル経済の中では、受け入れられない」と、アメリカの学校を批判しています。
▼この批判は、単一製品の大量生産を効率的に行ういわゆる工場モデルの学校が、時代に全くそぐわなくなったことに向けられたものです。それに代わってスペリングズ長官が強調しているのが、製品のカスタム化になぞらえた教育の「個人化」(パーソナリゼーション)です。その目的はすべての子どもたちの能力やニーズに見合った教育をすることによって、できるだけ高いレベルに到達させることです。それを可能とするものとして進歩したICT(Information and Communication Technology)が考えられているのはいうまでもありません。
▼ところで、この個人化を教育改革の中核的原理として、いっそう明確に位置づけている国がイギリスです。現在、イギリスでは、従来の「お仕着せ的」学校教育に代わって、「個人化された学習」(パーソナライズド・ラーニング)が教育の中心になるべきものとして、政府などによって推奨されています。それは「水準をさらに向上させるとともに、すべての子どもがその可能性を最大限実現することを保障するために、テイラーメイドの教育を与えること」を意図しています。ただ、教育の世界では個別学習や子ども中心主義はおなじみのものであり、個人化された学習がそれらとどう違うのかが当然、問われてきます。
▼個人化された学習の焦点は学習が遅れがちな子どもたちに向けられています。そこでは、子ども一人ひとりの進歩についての詳細なデータと系統的な評価が重視されます。こうした子どもたちを発見し、ケアしていくために有効な原理が個人化された学習なのです。そのため一斉教授、グループ学習、個別学習、ICTによる学習など多様な教育方法をとることや、学校の組織自体も個人化に最もふさわしいものに変えることが求められています。ややもすると放任になりがちな子ども中心主義とは、この点において異なるものです。
▼こうして見ると、アメリカもイギリスも、「すべての」子どもにとって最適の教育を実現するために個人化を重視しているようです。それは、従来の工場的あり方では、もはや機能し得ない学校を「すべての子どもの可能性を最大限伸ばす」という教育の原点に立ち帰って変えていこうとする試みとして、注目に値するものと考えられます。

(望田研吾)
 
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