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立ち読み  
編集後記  第54巻10号 2006年10月
 
▼本号の特集の一つは「早期教育の功罪」ですが、これに関する中国の事例が最近の新聞に報じられていました。
 優れた才能をもつ子どもの才能をさらに伸ばすのは親や国家の責任であるという前提で飛び級が行われ、極端な場合には10代で大学院に進学する場合もあるということです。そのような人の中には、欧米の有名大学の教授を務めるという「成功物語」をもつ人もいると言います。
 音楽や数学などの分野で、たまにそのような神童の活動を聞くことがありますが、異常な才能の上昇速度を維持、向上させるのは容易なことではないでしょう。中国の神童に普通の大人が地図を示して、北京の位置を尋ねたところ、彼は「地理を習っていないので解らない」と答えたと、その新聞は伝えていました。
▼一方、早期教育とはまったく裏腹に、みんな同じペースで教育をするという現代日本における公教育にも功罪があるとは言えないでしょうか。運動会の競走にも到着順位をつけてはいけないという話を聞いたことがありますが、本当でしょうか。学校では金太郎飴のようなロボット人間を造るのではないとか、個性豊かな人間を形成すべきであるとか言いますが、個性や才能を測定するためには、きっといろいろな種類の尺度が必要なのでしょう。
▼本号のもう一つの特集は「食育」です。この言葉もすっかり定着してきたと言っていいのでしょう。食はもちろん身体を支え、健康や病気に直接関係するものですが、同時に賢い食材の選び方、楽しい食事のマナー、あるいは人間の生活の生態学的な環境を考える機会も提供しています。そう考えると、このテーマはまさに「教育と医学」にもっともふさわしい話題の一つであると言っても過言ではないでしょう。
 考え方によっては、食育はゼロ歳児から高齢者まですべての人に共通する問題であるし、食材の流通機構が変わっていることも現実でしょう。健康によい食料生産の方法やそのような食品獲得の方法は、かつて人類が長い時間をかけて手に入れたものでしたが、現代人は今、これをスーパーマーケットやコンビニで嗅ぎ分け選び抜いて身につけ、これを子ども世代に伝達しなければならない時代になってきているように思われます。
▼早期教育の是非と食育。この両者はともに人間の健全な心身の発達を基本から考える際の重要な局面を示しています。この原稿を書く横で、全国高校野球選手権大会の放送が聞こえていますが、野球健児の活動を見るにつけ、もっとも健康に恵まれたこの若者たちへの集中的教育と特訓、そして食生活への万全の配慮にも関心が及びます。
 来月号は「創造性をいかに育むか」と「食としつけ」を特集します。ご期待ください。
(丸山孝一)
 
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