こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
第53巻2号 2005年2月
▼先ほど経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査の結果が発表になり、日本は41カ国・地域中14位であることが判ったことから、文部科学省はじめ、マスコミなど各界にショックを与えたようである。この調査は国際教育到達度学会(IEA)が行うものと違って、実生活への応用力を計ろうとするもので、15歳を対象に2年ごとに行われている。ご承知の通り、文部科学省はかねてから「ゆとりの教育」を推進し、土曜日を休日にするとか、総合科目を設定するような政策をとってきたので、今回の調査結果は「ゆとり教育」の影響ではないかという指摘も教育現場にはあるようだ。
▼筆者が滞米中の1983年に「危機に立つアメリカ」という報告書が出され、アメリカの初等中等教育の基本的な問題点が指摘されて全国的に衝撃を与えたことを思い出す。アメリカにはのんびりムードと危機意識が振り子のように繰り返される傾向があるようで、スプートニク・ショック(1957年)でソ連に対抗意識を持ち、市民権運動の頃(1960年代)は達成志向よりもむしろ平等原理が強調された。当時、教育大国と見なされていた日本の文部省からアメリカに教育視察団が来たが、アメリカでは何をわれわれから学ぶのだろうか、と言う自嘲的な声さえが聞こえた。今回もアメリカは28位で日本よりさらに低いが、両国ともこれを危機と捉えてどう立ち直るのだろうか。
▼ゆとりのある教育とは耳に響きの好い言葉である。しかし、ゆとりある教育が固定された教科以外に柔軟なカリキュラムを組んで学習することだとすれば、本来面白い教育の試みであるに違いない。確かに算数、国語、理科、社会など、基本的な科目がおろそかになって学力が低下しているとすれば、ゆとりが学習の妨げになってしまう恐れがあるが、他方では土日に学習塾が繁盛するという現実もある。今回の学習到達度低下の原因を単純に「遊び」のせいにすることは出来ないだろう。そこのところを専門家に十分正確に分析してもらいたいものだ。
▼本号では、子どもの「考え」に焦点を当てた。発達段階にもよるが、本来、小中学生段階での思考力の形成には、遊びの要素が欠かせないであろう。学習と遊びを対立するものとして捉える人がいるが、遊びを狭義に捉えすぎている。また、遊びとまじめとは別のこととされるが、子どもには区別がない。つまり、こどもは一生懸命、まじめに遊び、そこから多くのことを学び取り、人間形成が行われる。ただし、消費社会における遊びは大人によって与えられた様式に沿うものが多く、その意味で子どもは遊びによって考えるという成長の機会を奪われているのかもしれない。
(丸山孝一)
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