南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。

連載:『南方熊楠』(松居 竜五 著)

南方熊楠生誕150周年(2017年)!

 

第3回 「図鑑の中の宇宙」

 熊楠の学問活動を通観した際に驚かされるのは、幼少期の知的好奇心がそのまま持続し、やがて大きな成果へと結びついていることである。たとえば十代の熊楠が夢中になって筆写した『和漢(わかん)三才(さんさい)図会(ずえ)』。1712年に京都で編纂されたこの東アジアの伝統的な知識を詰め込んだ百科事典を、熊楠は生涯にわたって教養の基礎として援用し続けた。

 

南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。

 

 二十六歳の時に『ネイチャー』に発表した最初の英文論文「東洋の星座」の知識も『和漢三才図会』の冒頭の「天の部」から得たものであったし、その後の英文論文にも五十篇近くでこの書が使われている。また『和漢三才図会』を手がかりとして、熊楠の知識は千年以上にわたって蓄積された中国、そして日本の本草学・博物学へと延びていった。
 熊楠が最初にこの書に接したのは、七歳の時であった。とりわけ「龍蛇類」と「湿生類」に興味を持ち、「野槌蛇、黄頷蛇、蜮、𧔎」などに心を躍らせたという。「野槌蛇」はいわゆるツチノコのことであり、こうした空想上の生き物に対する好奇心は、ごく普通の子供が持つものと言ってよいだろう。恐竜図鑑やポケモンなどに興味を持つ現代の子供たちと、何ら変わることがない。
 だが、熊楠の知的活動がユニークなのは、こうした好奇心を終生持ち続けたことである。四十七歳から五十八歳まで書き継がれた「十二支考」は、毎年の干支に関する古今東西の観察や伝承を総動員した熊楠の円熟期の傑作である。このうち1917年の蛇の回には、「『和漢三才図会』には、これを蛇の属としいわく」として、「野槌蛇」の項目が関連する九件の和漢書からの情報とともに紹介されている。実に、四十年以上にわたってアイデアが温められ、日の目を見たということになる。
 注目すべきは、このことの意味が単に熊楠という個人の関心の持続という問題にとどまらないことである。熊楠が最初に『和漢三才図会』を知ってから、「十二支考」の中で展開させるまでの四十数年、つまり1870年代の明治初期から1910年代の大正期までの間に、日本人の教養のあり方は様変わりしていた。学制改革により小学校から大学までの学校制度が整備され、お雇外国人や留学組の教授たちによりもたらされた西洋近代の科学と思想が、国内のすみずみまで浸透していった。
 東京大学予備門で熊楠の同級生だった夏目漱石がそうした日本の近代化を「外発的」と呼んで批判したのは1911年のことである。そのような時代にあって、江戸時代中期の百科事典から得た知識を、徹底して「内発的」に展開していった熊楠の学問のあり方は、今日の眼から見て十分に注目に値する。そのようにして、少年時代の熊楠が東アジアの図鑑の中に見た宇宙は、十九歳から三十三歳までの英米における学問的研鑽を経て、新たな知の体系として再編されていったのである。


  

連載「南方熊楠」目次

第1回 南方熊楠の書庫(2016.12.1 掲載)
第2回 南方熊楠とコンピュータ(2016.12.8 掲載)
第3回 図鑑の中の宇宙(2016.12.15 掲載)
第4回 「ロンドン抜書」の世界(2016.12.22 掲載)
第5回 「十二支考」という達成(2017.1.12 掲載)
第6回 「十二支考」という達成(2017.1.12 掲載予定)

  

 

『南方熊楠――複眼の学問構想』(松居 竜五 著)

南方熊楠生誕150周年(2017年) 『南方熊楠――複眼の学問構想』著者の松居竜五氏による連載です。 学者熊楠、誕生の軌跡

アメリカ、キューバ、ロンドン、那智――。
世界各地を自ら踏破し、古今東西の膨大な時空に拡がる文献を駆使して、NatureやNotes and Queries に400篇近い英文論考を発表。
西欧の知的潮流に正面から向き合い、独創的な知を紡いだ学者南方熊楠の多様性と集束力の織り成すダイナミズムを描く労作。

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書籍詳細

分野 社会、哲学、思想
初版年月日 2016/12/30
本体価格 4,500円(+税)
判型等 A5判/上製/628頁
ISBN 978-4-7664-2362-4
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著者 松居 竜五(まつい りゅうご)

1964年、京都府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。論文博士(学術)。東京大学教養学部留学生担当講師、ケンブリッジ大学客員研究員等を経て、現在、龍谷大学国際学部教授。南方熊楠顕彰会理事、日本国際文化学会常任理事、熊楠関西研究会事務局。 著書に『南方熊楠  一切智の夢』(朝日新聞社)、『達人たちの大英博物館』(共著、講談社選書メチエ)、『南方熊楠大事典』(共編共著、勉誠出版)など、訳書に『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』(共訳、集英社)、『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)がある。