著者小熊英二より
不安な時代にただよう「ナショナリズムの気分」を分析


 「新しい歴史教科書をつくる会」は、これまでさまざまに論じられ批判されてきた。あるいは歴史認識の問題として、あるいは戦前回帰を示すものとして、あるいは現代日本のナショナリズムの台頭を示すものとして。だがその大部分は、印象論的な批判にとどまり、彼らの実態を実証的に分析したものは、驚くほど少なかった。
 この本は、二つの側面から「つくる会」を分析している。その一つは、筆者(小熊)が、「つくる会」の幹部たちの著作を分析したこと。そしてもう一つは、当時大学生だった上野陽子が、「つくる会」神奈川県支部に調査におもむき、参与観察とインタビューによって、会の構成と参加者たちの実像を調べたことである。
 これらの実証分析からは、過去の「つくる会」批判が描きがちだった「過激な右翼」といったイメージとは、およそ異なる実態が浮びあがった。「つくる会」参加者の中心は、従来は保守運動や政治活動に縁がなかった、二十代から三十代の会社員や学生、主婦などである。彼らは「普通の市民」や「庶民」を自称し、「街宣車右翼」を嫌っている。確固たる思想性は希薄で、天皇への関心は薄い。「旧来の保守派」には違和感があり、支持政党は「なし」が多い。
 思想の希薄さの代りに、彼らに感じられるのは、現代社会の不安である。「つくる会」の会長の西尾幹二は、「どこといって定点はない」「ポッカリ開いた心の中の空虚」を語る。神奈川県支部の二十代のあるメンバーは、「赤い羽根共同募金」のボランティアや選挙応援活動で満足が得られなかったあと、「つくる会」にやってきた。自分の身につかない保守思想や歴史観を掲げながら、「サヨク」や「北朝鮮」を批判することで、とりあえずのアイデンティティを確保しようとする人びとのサークルが、そこに生まれてゆく。
 こうした特徴は、「つくる会」にのみ見られる現象ではない。いま日本の各地で、類似の草の根保守運動団体が、自然発生しつつある。それは、冷戦体制の終焉とともに、社会や政治への関心を表現する従来の回路が機能不全に陥りつつあるなかで、未来への漠然とした不安が「保守運動」のかたちをとって噴き出している現象である。
 本書は「つくる会」の実証分析を通じて、こうした現代日本社会の「ナショナリズムの気分」の基盤を明らかにしようと試みたものである。「つくる会」そのものの分析にとどまらず、これからの日本社会の動向を占うものとして、多くの読者に受けいれられることを期待したい。
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