■水澤周「はしがき」より■  
日本近代史における「岩倉使節団」の位置付けや、その長大な記録『米欧回覧実記』の内容分析、そして、それが持つ意義などについては、これまでに数多くの研究や解説が、内外多数の研究者によって行われている。しかし、私はそれがすでに十分に行われたとは思っていない。そのように考える大きな理由のひとつは、『米欧回覧実記』というテキストが、「文庫」というポピュラーな形で出版されているにもかかわらず、まだまだ限られた人にしか読まれていないこと、特に若い読者にとっては、これがなかなか取り付きにくいテキストであることにあると思う。せっかく手に取って見ても、途中で放棄することも多いのではないかとさえ危惧されるのである。
 
…………(中略)…………
 
もちろん、いやしくもこれを研究しようとするものにとっては、これを原文で読むことは必須である。しかし、さらに広くこのテキストが読まれるような手段が講じられれば、研究の裾野はさらに大きく広がるはずであり、より多彩で多角的な研究が生まれる豊かな土壌が用意されるであろう。また、専門的研究という問題を超えて、このテキストが持つ意味もたいへん大きい。すなわち、一九世紀後半の欧米諸地域の貴重な情報としても、東西比較文明の材料としても、風俗史や社会史の史料としても、このテキストの内容はたいへん豊かなのである。すぐれた文明史、社会史的読み物としても、ひろく一般の読者にもっともっと迎えられてよい。さらに言えば、日本の近・現代の持つ問題、そのありかたをきちんと考察し直し、未来を見通そうとする作業においても、この『実記』を読んできちんと分析することはまことに有効なのではないか。そうした思いが、この現代語化の作業のきっかけとなった。
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