著者佐藤文香より


『G.I.ジェーン』とフェミニズムの間で


U 『G.I.ジェーン』はフェミニストではない

 女性の軍隊参加は、現代フェミニズムの一つの争点となっている。広く誤解されているようだが、フェミニズムを、女性の「私領域から公領域への参入」や「公領域における男女平等」要求にのみ還元することは適切ではない。それらの視点から解くならば答えは決まっている―「もっと女性兵士を」、「軍隊にも男女平等を」。
 だが、フェミニズムはその誕生当初から、近代に依拠しつつ近代を超えようとする志向性を内包してきた。すなわち、自由や平等、人権といった近代的な諸概念に依拠しつつも、それらを自明のものとはせず、批判的に吟味する視座をも有してきた。だからこそ、女性の軍隊参加をめぐっても、フェミニストたちは「増えた女性兵士はそこで何をなすのか?」、「男女平等の軍隊で一体何が変わるのか?」と問い、ジェンダー平等の内実をめぐって論争を繰り広げてきたのである。
 しかしながら、この映画『G.I.ジェーン』にはそのような繊細な迷いは一切、感じられなかった。そこにいたのは、稀有な才能を持った女性兵士であり、「女性の権利の看板にはなりたくない」とする彼女は、単に、自分が「みそっかす」として扱われることを拒否した「実力至上主義者」である。にもかかわらず、おそらくこれがフェミニストの絶賛する映画であるかのように受け取られていくであろうことが予測された。それが私の居心地の悪さの原因であり、「『G.I.ジェーン』はフェミニストではない」と主張したいという願望こそが、強烈な研究動機となったのだ。

 当然のことながら、アメリカの軍隊のジェンダー政策や女性兵士をめぐる論争を調べていく中で、そのようにただ叫ぶだけではすまないということ、すなわち、あのような映画を生み出す背景として、アメリカの抱えている事情を考える必要があることを理解するようになった。女性の軍隊参加が求められる理由としては、雇用・教育の機会、退役軍人への特権、軍事行使の意思決定、暴力装置からの女性排除などがあげられることが多い。これらは、結局のところ、軍事任務からの女性排除が女性を「二流市民化」するという論点である。そこには、憲法に男女平等修正条項(Equal Rights Amendment)がいまだ実現されず、その反ERAキャンペーンにおいて「兵役の男女平等」という脅迫が必ず繰り返され、大統領選のたびに国の指導者として適切か否かを判断する材料として候補者の兵役経験がとりざたされるというアメリカ的なコンテクストがあった。

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